2008年12月09日

現代の子ども達が抱える問題点

1 大きな志がない。
2 疲れている子どもが多い。
3 自分に自信を持っている子どもが少ない。意識調査の中で中学生選任の内約二百人が「自分は生まれてこなければ良かった」と答えている。
4 死生観に歪みがある。小学生の高学年の調査で死んだら生き返ると思っている子どもが三分の一ほどいる。
5 規則正しい生活習慣が身に付いていない。特に就寝時間が非常に遅い。靴ひもが結べないとか歯を磨けないとか、箸が使えない子が多い。
6 勉強への意欲が低い。就学生の三,四割の生徒が家で全く勉強しない。
7 自己制御力が弱い。以前はキレる、ムカつくという言葉すらなかったのに、それが日常語になってい当たり前になってしまった。
8 基礎体力がない。特に背筋力が弱く、頬杖をついたり、机に突っ伏して授業やテストを受けている。姿勢を正して座っていることができない。
9 国語力の低下。

 このような問題点が、今目に見える形となって学級崩壊、不登校、校内暴力、ニットや、フリーター、パラサイトシングルといったい教育問題、社会問題、さらには凶悪犯罪にも深く関連していると感じる。

 これらの問題点を見ていると一昔前の日本であれば誰でも当たり前にできていることが今大人も含めてできていないように思う。なぜそうなってしまったのか。それは教育システムや家庭の状況、地域環境、躾や道徳教育の欠如など様々な要素が重なって現在の状況になっているように思う。

橋本左内の『啓発論』の中からの五つ。
1 稚心を去る(子供っぽい心を捨てる)
2 振気(気を振るう)
3 立志(志を立てる)
4 勉学(学びに努める)
5 択交(良い友を選ぶ)

この稚心とは例えば、様々な状況で勉強や仕事の時に、遊びたいとか、少し休みたいなどとついつい考えしまう気持ちのことである。この気持ちをを抑えることができなければ、高い志を立てることはもちろん実行することはできないであろう。

現在の子ども達の問題をあげているのに、私たち大人にも当てはまるので、身の引き締まる思いである。
(参考 致知 2008年12月号 占部賢志 渡邊 毅 教育に懸ける心願)
ニックネーム uzak at 00:21| Comment(0) |

2008年11月22日

葉のように生きる

 樹木は、冬がやってくる前にすべての葉を放棄する。その際葉を黄色、赤色、褐色に変化させる。葉が緑色に見える要因である葉緑素(クロロフィル)の成分が寒くなり日照時間が短くなると葉で作られた成分が分解し、できた物質が紫外線や酵素の作用などにより葉の色が変化するらしい。落葉の際、葉の付け根できれいに落ちる。それはここに離層と呼ばれる切り離し面を葉自身が作るらしい。

 落葉を自分流に解釈すると、樹木の子どもとして生まれた小さな葉は樹木から水や養分を援助してもらいながら大きくなる。春から夏にかけ、光合成を行い、養分を作り、秋には自分の役割を果たし終わる。自分を育ててくれた樹木(公)に対し、敬意をはらい自分のエネルギーを公に使って欲しいと謙虚になる。感謝の念を持って最後は公に貢献する。そして春にまた新たな芽が成長するために行動している。

 葉が自分自身のことだけ考えているのではなく、樹木全体のことを考えて行動しているというところに感動する。もしすべての葉が自分のことだけを考えて、樹木から水や養分を奪い取り、冬になっても樹木に付いていたとしたら、風や寒さで結局、葉は落ちてしまうことになるだろう。その切り口は無理矢理おれるような形でその部分は樹木全体にダメージを与えることになる。また樹木から受け継いだ命を返還することなく分離してしまうため、樹木はやせ細ってしまうだろう。

 我々人間は自分のことばかり考えて欲をかき、感謝を忘れ、傲慢な行動をすることで社会全体が大きなしっぺ返しを食らうことになるだろう。だからこそ、一人ひとりが葉のように生きることが大切なのだ。
まさに自然に教わる。
自然界は人生の師であると言って良かろう。
ニックネーム uzak at 22:15| Comment(0) |

2008年11月03日

引っかかりながら読む

数学の問題ができないから質問にくる人の多くは、問題の解き方がわからないのではなく、問題の書いてあることが理解できていないことによる場合が多い。
もちろん、できているのに計算ミスをしている場合もあるがこの問題の理解ができていないのである。では問題文を読んでいないのかというとそうではない。読んでいるけれどさらっと1回読んだという程度でそこにかかれている内容を自分の実感として、とらえられていないのである。
このような場合、「引っかかりながら読む」ことを勧めている。これは、たとえば「直線ABが直線y=2xに平行」、「2次方程式が異なる実数解を持つ」といった場合、前者であれば「直線に平行」とはどういうことかということを随時、理解し、考えながら読み込んでいくことをいう。直線に平行とは傾きが等しい。だから直線ABの傾きは、直線y=2xの傾き2に等しくなる。後者で言えば、「異なる実数解を持つ」とはどういうことか。グラフを書くとx軸と異なる2点で交わり、判別式を考えるとD>0ということだ。
そんな具合に理解しメモを書いたり、図やグラフを書いたりしながら読み込んでいく。
そうすると、出題者が何をさせようとしているのかがわかり、どう解けばよいのかは自然にできることになるのである。
つまりは、問題ができない場合の大半は、解くことがわからないのではなく、読むことができていないのである。単純に言葉の意味がわからない、表現が何を指しているのかがわからないという国語力のなさもそれに追い打ちをかける。
他の教科でも同様のことがいえるだろう。ここで魔法の言葉を、というと大げさであるが教えよう。「つまり」と「ということは」である。問題を読みながらつまりどういうことか。ということはどういうことか。と自分に問いかけながら読み込んでいくことで問題を正確に理解することができる。
ニックネーム uzak at 23:05| Comment(0) | 学習理論

落ち葉

赤や黄色の枯葉が風に舞う。秋の風物詩ともいえる風景である。
この落ち葉をめぐって新聞にも意見が登場している。「街路樹の落ち葉をどうにかして欲しい」「これないなら街路樹を切ってくれ」などの声が行政に届いているらしい。
 確かに、この街路樹の落ち葉というのはやっかいでものすごい量があり、片付けてもすぐにたまってしまう。自分の敷地内にある木なら仕方がないが、街路樹となると行政で植えたのだからそっちで何とかしてくれという考えになるのも分かる。
 しかし、だからといって、樹木を切ってしまうという極端なことにはならないだろう。春には緑のすがすがしさを感じさせたり、夏の暑いときには日差しを遮ってくれたりと少なからず恩恵を受けていたのではないだろうか。街からすべての樹木がなくなった様子を想像できるだろうか。都会ならまだしも、街に木がないという情景はまさに殺風景そのもので異常であろう。天然の木の代わりに葉が落ちない作り物の木にするということにもならないだろう。
 落ち葉の処理をどうするのか。行政はどこも財政が厳しいので現実的には不可能であろう。しかし、ゴミ処理は無料とするとしても、現状は町内会や個人に任せた状態のままというのもどうだろう。街の生活に潤いを与えてくれる樹木に感謝しつつ、積極的に関わったらどうだろう。みんなで落ち葉拾いキャンペーンとしてイベントにしてしまうとか、落ち葉を集めて堆肥を作るとか、子ども達といっしょに落ち葉で絵を作るとか本気でやろうと思えば何かやり方があるはずだ。
 行政と個人がもっと積極的に交流すれば、住みよい街になるのではないだろうか。
ニックネーム uzak at 22:59| Comment(0) | 人生

2008年09月24日

夢への一歩

北京オリンピックの水泳でメダルを取り、生涯のメダルの数は21個になった。日本選手の最多記録を塗り替えた。驚くべきことは、これを達成したのが全盲の中学教師である河合純一さんだということだ。
河合さんにとって普通に生活することでさえ絶望的な状態とも思えるなかさらに水泳というスポーツにチャレンジし、さらに世界一を目指すという志を持つ。
河合さんの生き方はすべての人に、希望と勇気を与えてくれる。
「できない」ことと「やらない」ことは違うということを教えてくれる。
夢は何もしなければ、絵に描いた餅でしかない。
実現に向かって、努力するからこそ、夢を実現できる。

普段自分たちが、やろうとしないで、できないとか面倒だからやりたくないとか、言いがちですが、夢を実現するにはまずやってみること。
最初の一歩が大切であるが、なかなかその一歩が踏み出せない。
勇気を出して、一歩を踏み出そう。
努力は必ず、結果に表れる。

河合さんのように真心で世界を見続ける人生を見習いたいものだ。
ニックネーム uzak at 00:58| Comment(0) | 夢実現

2008年09月07日

なぜ人は落ちるのか?それは這い上がる為です。

試験に落ちる、機械の電源が落ちる、システムが壊れる、精神的に落ちるなど「落ちる」を使ったものは様々あり、その状態に陥って、悩んでいる人は多い。
落ちるとは肯定的な言葉ではないが、だからといってそれが永久的に続くわけでもない。
物事の陰陽は、表裏一体であり、プラスとマイナスは連続的である。止まない雨はない。悪いことばかりが続くわけではない。一般的に不幸と思えることも運が良いと思うこともすべてが一本の糸で繋がっている。

映画バットマンビギンズの中でアルフレッド(マイケル・ケイン)がウェイン(クリスチャン・ベール)に言った台詞に次のようなものがある。

「Why do we fall, Master Wayne? So that we can learn to pick ourselves up.」
(なぜ人は落ちるのか?それは這い上がる為です。)

ライオンの親が子どもライオンを崖から落とすとも言われている。これも這い上がらせるため。滝から落ちる水もいずれは、川を下り海となり、そして水蒸気となり、上空へ上がっていく。沈んだ太陽も翌朝になればまた昇る。自然界の中でも原理原則は一緒と言うことでしょうか。

自分の周りに起こる出来事や人との出逢いは縁と言われている。この縁には良い縁と悪い縁があり、どちらも同じ縁である。この縁は、やはり、一本の糸で繋がれているかのように縁も繋がっているのである。したがって、どの縁にも感謝しなければならない。

人生捨てたものではない。すべての物事を感謝し、前向きに物事を捉える絶対積極の心が必要である。
ニックネーム uzak at 00:40| Comment(0) | 人生

2008年08月03日

アイザック・ニュートンに学ぶ

アイザック・ニュートンはりんごが木から落ちるのをみたことで万有引力があることを発見したという逸話で有名であるがこれはどうも後から作られたものであるようだ。
重力があることはニュートン以前からわかっていたことである。彼は、「りんごが木から落ちるのに月はなぜ落ちないのか?」という問いを10日近く考えたそうだ。しかし、答えは出なかった。普通の人であればここであきらめてしまうところであるがニュートンのすごいところは、「この天才的な自分が10日考えてわからないのだからこの問いが間違っているのだ。」
つまり、「りんごが木から落ちるように月も落ちているのではないか?」と自分の問い自身を全否定し、もう一度考え始めたことである。天体の動きがケプラーの法則によって導かれる事とりんごが落ちるという重力との関係は同じ現象でこれが、万有引力の法則と呼ばれる。月が地球の真上の位置から動いたとすると慣性の法則でいえばそのまま地球から離れてしまうところ、地球の重力によって下に引っ張られる(落ちる)ことで地久の周りを落ち続け、つまり回り続けることになる。この円運動の仕組みにより、人工衛星が地球の周りを回り続けることができる。

このニュートンに学びたいのは、膨大な知識や教養を習得すること。ひらめきを大切にすること。そして、答えが出るまであきらめないこと。
科学者ではなくとも、これを学習に仕事に、そして人生に活かしていきたいものだ。
(参考 代々木ゼミナール 物理学者達の物語)
ニックネーム uzak at 10:16| Comment(0) | 人生

2008年07月23日

鏡と心

鏡という字の「竟は楽章のさかいめ、くぎりめをあらわし、境の元字。鏡は『金+竟。』道を磨いて、明暗のさかいめをはっきりうつし出すかがみ。」
鏡は鑑とも書き、鑑の字を解釈すると、臥は『臣(伏した目)+人』で人がうつぶせになること。監は『皿の上に水+臥」で、大皿に水をはり、その上に伏せて顔をみること。水かがみでしげしげと姿をみさだめること。昔は水かがみを用い、盆に水を入れ、上からからだを伏せて顔をうつした。春秋時代から後は、青銅の面を平らに磨いて姿をうつすようになったので、金へんをそえ、鑑の字となった。(参考 漢字源 学研)

「鑑明らかなれば則ち塵垢(じんく)止まらず。」(荘子)
鏡がきれいになっていれば、そこにはちりあか一つとどまらない。
つまりここでいう『鏡』は人の心であって、よく磨いていれば、そこに汚い考え方など生じてこない。

「水は波たたざれば、則ち自ずから定まり、鑑は翳(くも)らざれば、則ち自ら明らかなり。」(菜根譚)

波が立っていなければ、水は安定し、自然清く澄んでいる。よごれのない鏡は、自然明るい。同様に、人間の心も感情が波立ち、悩み事に苦しみさえしなければ、本来の明徹さを保つものである。

鏡は清を執(と)りて事なし。(韓非子)

鏡というものは、自分の表面をきれいにとり守って、外物をいかにうつそうかと意をも用いることはしない。美しいものも醜いものもありのままに映す。人間もそのように、心をむなしくして外物に接すべきだ。

水に自分の姿を映すことから鏡という字ができあがっているが自分の身の回りに起こることや自分の置かれている環境は、自分の心の鏡写しなのである。一見自分とは無関係に感じるすべてが自分の考えや言動に起因して展開されてきた結果なのである。鏡は良いことも悪いことも現実をその通りに映すだけであるから、心は常に前向きであり、積極でなければならない。だから、現在の状況に不平不満を言い放すのではなく、自分の思いや身近な人への許しや感謝の気持ちでいると周りの出来事が良い方向へと変わってくる。また様々な出来事に動揺せず、感情的にならず、常に「平常心」でいることが重要なのだ。
自分の心というかがみを常に磨いておかなければならない。
(参考 「中国古典名言辞典 講談社」 「鏡の法則 野口 嘉則」)
ニックネーム uzak at 13:05| Comment(0) |

2008年07月02日

徒歩通勤

自宅から徒歩通勤している。というのも7月に入り、ガソリンの値段は180円を超える。これだけ燃料費が上がるとどこの家庭もたまったものではない。こずかいも減らされかねない。少しでも節約、少しでもCO2削減に貢献するため、そうしている。というと聞こえはいいが実際は、かなり運動不足だからというのが本音だろうか。まあきっかけはともあれ、やはり歩くというのはいいものだ。車を手放せない生活をしていると本当に歩かなくなったのでちょうどいい。
歩いていると普段気がつかなかったようすに気がつく。ずいぶん雑草が生えているな、とか花がきれいに咲いているなとか、この家の庭はよく手入れが行き届いているとか、この道は夜になると真っ暗だなど、車のスピードでは感じられないことを感じ取れる。また歩いている間にいいアイデアが浮かんだりするものだ。
今の現代のスピード時代にあえて、タイムシフトしてゆったりとした時間を作ってみることも重要である。
本当に厳しい世の中になってきたけれど、花は無心で一所懸命美しく咲いている。
花は無私の心で咲いているから美しいといえるだろう。
花はそんなに悩まなくてもいいよと無邪気に話しかけてくる。
花は一所懸命やればいいと笑顔で話しかけてくる。
本気で地球のことを考えてあげないといけない時期に来ている。

徒歩通勤がリラックスし、前向きになれる時間であることに感謝する。
ぜひ、人生の徒歩通勤をしてほしいものだ。
ニックネーム uzak at 14:00| Comment(0) | 人生

2008年06月15日

道具磨きは自分磨き

工は其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。

「職人は、仕事をうまく仕上げるためには、まずその道具に磨きをかける。立派な人間を志して修養するためには、賢者に近づいて学び、仁者を友とすることが必要である。」
(中国古典名言辞典 講談社)

あらゆる仕事の場面でこのようなことがいえるであろう。高級な道具や新しい道具を使うと言うことではなく、今使っている道具に関して、感謝の念を持って、ていねいに取り扱い手入れをしているかということである。野球選手のイチローも道具を大切にするということである。イチローは打席で打った後にバットを放り出さない。
料理人であれば、鍋や包丁を運転手であれば車を手入れするのは当然であろう。学生であれば勉強机を整理整頓し、きれいにする。シャープペンや消しゴム、ノート等必要なものをきちんとしておく。教科書には落書きなどせず丁寧に扱う。といったところだろう。
ものが豊富になった現代、使えなくなったから捨てるのではなく、飽きたから捨てる。そしてまた新しいものを買う。そんな気持ちでいい仕事ができるだろうか。もちろんボロボロのみすぼらしいものを使い続けるということではなく、相棒に対し、あくまでもいっしょに仕事をしてもらっているという気持ちで接することが大切である。
道具をみればその人の仕事ぶりがわかる。
松下幸之助さんは、松下政経塾において「自分の身の回りをきれいにしなさい」とだけ言ったという。

自分の心が所持品の手入れ具合やや机周りや事務所の整理整頓具合に現れる。
いささか耳が痛い話である。
私自身も机の上の山脈を何とかすることや、お世話になっているパソコンのキーボードなどきれいにしてあげることに時間を使おう。

道具磨きは自分磨き。
ニックネーム uzak at 11:22| Comment(0) |