2008年07月02日

徒歩通勤

自宅から徒歩通勤している。というのも7月に入り、ガソリンの値段は180円を超える。これだけ燃料費が上がるとどこの家庭もたまったものではない。こずかいも減らされかねない。少しでも節約、少しでもCO2削減に貢献するため、そうしている。というと聞こえはいいが実際は、かなり運動不足だからというのが本音だろうか。まあきっかけはともあれ、やはり歩くというのはいいものだ。車を手放せない生活をしていると本当に歩かなくなったのでちょうどいい。
歩いていると普段気がつかなかったようすに気がつく。ずいぶん雑草が生えているな、とか花がきれいに咲いているなとか、この家の庭はよく手入れが行き届いているとか、この道は夜になると真っ暗だなど、車のスピードでは感じられないことを感じ取れる。また歩いている間にいいアイデアが浮かんだりするものだ。
今の現代のスピード時代にあえて、タイムシフトしてゆったりとした時間を作ってみることも重要である。
本当に厳しい世の中になってきたけれど、花は無心で一所懸命美しく咲いている。
花は無私の心で咲いているから美しいといえるだろう。
花はそんなに悩まなくてもいいよと無邪気に話しかけてくる。
花は一所懸命やればいいと笑顔で話しかけてくる。
本気で地球のことを考えてあげないといけない時期に来ている。

徒歩通勤がリラックスし、前向きになれる時間であることに感謝する。
ぜひ、人生の徒歩通勤をしてほしいものだ。
ニックネーム uzak at 14:00| Comment(0) | 人生

2008年06月15日

道具磨きは自分磨き

工は其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。

「職人は、仕事をうまく仕上げるためには、まずその道具に磨きをかける。立派な人間を志して修養するためには、賢者に近づいて学び、仁者を友とすることが必要である。」
(中国古典名言辞典 講談社)

あらゆる仕事の場面でこのようなことがいえるであろう。高級な道具や新しい道具を使うと言うことではなく、今使っている道具に関して、感謝の念を持って、ていねいに取り扱い手入れをしているかということである。野球選手のイチローも道具を大切にするということである。イチローは打席で打った後にバットを放り出さない。
料理人であれば、鍋や包丁を運転手であれば車を手入れするのは当然であろう。学生であれば勉強机を整理整頓し、きれいにする。シャープペンや消しゴム、ノート等必要なものをきちんとしておく。教科書には落書きなどせず丁寧に扱う。といったところだろう。
ものが豊富になった現代、使えなくなったから捨てるのではなく、飽きたから捨てる。そしてまた新しいものを買う。そんな気持ちでいい仕事ができるだろうか。もちろんボロボロのみすぼらしいものを使い続けるということではなく、相棒に対し、あくまでもいっしょに仕事をしてもらっているという気持ちで接することが大切である。
道具をみればその人の仕事ぶりがわかる。
松下幸之助さんは、松下政経塾において「自分の身の回りをきれいにしなさい」とだけ言ったという。

自分の心が所持品の手入れ具合やや机周りや事務所の整理整頓具合に現れる。
いささか耳が痛い話である。
私自身も机の上の山脈を何とかすることや、お世話になっているパソコンキーボードなどきれいにしてあげることに時間を使おう。

道具磨きは自分磨き。
ニックネーム uzak at 11:22| Comment(0) |

2008年05月28日

柱時計

 先日、実家の倉庫を探索していろと、小3の時に描いた絵や習字などが出てきた。
こんなの書いたかなあと記憶は定かでないものが多いがちょっと懐かしい。
そんな中、古い柱時計を見つけた。
 今は、壊してしまった建物の玄関を入ると土間があった。土間というのは古い農家の建物にある土足で玄関から裏に抜けられる土のままの部屋のことだ。この土間が建物のほぼ中央を裏まで突き抜けている。ここで雨の日は作業をこの土間で行う。近所の人が来たときは茶の間にあがらなくてもまた農作業で足下が汚れていても気軽にそこで話をしてお茶が飲める多目的なコミュニケーションのツールといってもいいだろう。茶の間から食堂に行くにはサンダルを履いて土間を通らなければいけない。柱時計はこの土間の柱にかかっていたものだ。
 ほこりをぞうきんで拭くと真っ黒になった。その時計というのは今では珍しいかもしれないゼンマイ式機械時計で、祖父が毎日ゼンマイを巻いていた。カチカチと時計の音がし毎時ちょうどの時刻になるとボーンボーンと時刻の数だけ鳴る。小学生の時、夜眠れずにいるとカチカチという時計の音が普段は気にならないのに意識すればするほどカチカチという音は大きくなっていった。そして、ボーンボーンとなるのだからたまらない。布団を頭からかぶった。子どもの頃は非常に大きな存在であったこの柱時計も取り外されてほこりをかぶっているとちっぽけな存在に感じた。形は丸を二つ上下に重ねたひょうたんの形ですべてが木製である。当時は何も感じなかったが今になってみるとプラスチックで作られるのが普通の現代においてオール木製というレトロな作りにノスタルジーを感じないわけにはいかなかった。ドライバーでビスを外し文字盤をあけてみると時計の中心部の金属製歯車が見える。そこに油を差し、ゼンマイを巻いてみると見事に動くではないか。そしてアルファベットでセイコーシャと書いてある。この時計がセイコー製ということに驚く。この時計がいつ家にやってきたのかを母に聞くと、私からみてひいおじいちゃんに当たる人が買ってきたものらしい。ということは100年近く前に作られたことになる。
現在では、同じものはもうほとんど存在しないだろう。先ほどちっぽけな存在と思ったことを心の中で撤回した。
 この柱時計はタイムマシーンのように時空を超越して、自分の心を動かした。この時計を粗末に扱うのは自分の人生やこの家の歴史を粗末に扱うように思い、きれいにし動くように調整した。父と母の人生はもう先は長くない。この柱時計も人生の一部といっても良いだろう。私と母の思いは一致したし、新しい家の柱に時計を掛けることになった。息を吹き返した柱時計は今もこの家で、世代を超えて時を刻み続ける。人生を刻み続けるように。
ニックネーム uzak at 11:05| Comment(0) |

2008年04月27日

花と品格

 チューリップやパンジーなどの花が切断されたり抜かれたりするという事件が日本中で相次ぎ起こった。こういうことが一度マスコミで報じられると連鎖が起こり次々起こり出す。悪の連鎖だ。
 小さな子どもならまだしも、多くは大人が、ふざけ半分でやったのがほとんどだろう。人としての品格を問われる。日本人はいつからこのようになってしまったのか。幼稚園児でもわかるような善悪を判断できず、充分な思考をせず、安易に行動してしまう。こういう人が増えてしまったことを遺憾に思う。

 公と私のバランスが悪い。社会や個人それぞれ矛盾がある。公を通そうとすれば私の自由が奪われることもあるし、私のことだけを考えて我を通そうとすれば公に反し他の人に不快な思いをさせてしまうこともある。私たちは私心をすべて捨てろとは言わないが公私の折り合いをつけながら生きている。それが後先を考えず、自分の利だけを通そうとすれば問題が起こるのは当たり前だ。
 もっともっと一人ひとりの個人が社会全体を考えて行動すれば、社会はもっと良くなるであろう。そういう教育がもっともっとなされるべきであろう。他の人や動物、環境にもっと配慮できる人の多い社会になることを望む。それは一人ひとりの心がけ次第だ。
それが実現すれば、一人ひとりの心に花が咲き、世界は美しい花で埋め尽くされるであろう。
花達は、こんな事件が起こっても、何もなかったように美しい花を咲かせ、我々を癒してくれる。
ニックネーム uzak at 09:42| Comment(0) |

2008年03月30日

時間を計る

書くだけで痩せる
 そんな夢のようなことがあるのかと思うかも知れないが実際に痩せた人がいるきちんとしたダイエット法なのである。「レコーディング・ダイエット」とも呼ばれている。
それは、これだけを食べるとかカロリー制限をするとかという物とは違い何を食べても良いが食べたものすべてを記録し、体重を量り記録するというものである。
これは、実際に食べたものを書き出すことで何となく食べていたことや想定していない時間に食べていることなどを知ることになる。自分に対し様々な気づきを生じさせる。その結果痩せることになる。
 速く問題を解くにはどうすればよいか。書くスピードを2倍にすればよい。2倍のスピードで書くつもりでいると実際、1.5倍位速くはなる。しかしそれ以上は厳しい。
問題を解くときにストップウオッチなどで時間を計ることをおすすめする。それだけで解くスピードが速くなる。現在、センター試験をはじめ、試験では時間が限られている。時間内にいかに多くの問題を正確に解けるのかが問われている。これは実社会でも同様である。一つの問題を何日もかけて解決していたのでは事態が悪化し、収拾がつかなくなることがある。現代は短期間で解決することが要求されるスピード社会なのである。
 さて、解く時間を計り、それを記録するだけで必ず速くなる。ほとんどの人が時間を意識することなく無意識に過ごしていることが多いが時間を計るとなるとそれを意識せざるを得ない。そしてその結果を記録することで「ずいぶん時間がかかっているな」とか「もっと早く解こう」とかという考えがでてくる。実証済みなので是非試して頂きたい。
 時間にとらわれたくないという人もいると思うが、人生そのものが時間で出来ている。
自分だけのゆったりとした時計がほしいものだ。
ニックネーム uzak at 10:41| Comment(0) | 教育

2008年03月10日

SUBWAY

札幌にSUBWAYを見つけて、うれしくなって店に入った。北海道に初上陸ということであった。
SUBWAYとはアメリカで生まれたサンドイッチのファーストフード店のことである。
個人的にはハワイで食べた本場の味が忘れられない。
SUBWAYとは地下鉄のことであると思っていたがその由来は違っていた。
潜水艦型のパンにハムや野菜を挟んだサブマリンサンドの「SUB」に、あなた好みに作るという意味の「WAY(MYWAY,YOURWAY」を組み合わせた造語ということだ。

このSUBWAYをつくったのはアメリカのフレッド・デルーカ。彼はニューヨークの下町生まれで決して裕福とは言えない家庭で育った。そのことは不幸ではなかった。彼はこの家庭環境の中で、幼い頃から自分で「稼ぐ」ことを自然なこととしてとらえてきた。
自分の置かれた境遇に対し、前向きに捉え、マイナスをプラスに替えていった。
彼は店の狭さや人手不足等の制約の中で「サブウェイ」独自のスタイルが生まれている。
定員が大勢いる店舗なら、「調理する人」と「販売する人」が分かれている方が作業効率がいい、しかしサブウェイではそれができない。そこで考え出された苦肉の策が「作りながら売る」という方法だ。最初はお客に背を向けてサンドイッチを作っていたのをお客と向き合って作る方法に変えていった。それにより、注文内容の間違いが減る、来店したお客にすぐ気が付く、お客を退屈させないなど様々な利点が生まれた。
人が少ないからできないという短所を、お客と向き合い、嫌いな野菜は入れないなど細かい注文にも柔軟に対応する「オーダーメイドシステム」という長所に変えていったのである。目の前で作るのだから、いつもフレッシュでおいしいサンドイッチである。
それはまるでディズニーランドのアトラクションのように楽しく、好感が持てる。

これは仕事や家庭、人生にも同じことがいえる。自分の置かれた境遇に文句を言いながら、改善せず、何もしないということがないだろうか。一見、最悪の状態に見えることが実はすばらしい個性になるのだ。それは前向きな心構えのなせる技であり、否定的な考えでいたのでは何も変わらない。見方を変えれば、それは最高の状態と言えよう。問題はそう思える心を持っているかということだ。
常に積極の心でいる必要があるのだ。

(参考SUBWAY HISTORY http://www.subway.co.jp/history/)
ニックネーム uzak at 00:01| Comment(0) | 人生

2008年02月25日

木鶏

先日、ドラマ金八先生を見ていると、相撲少年の話だったのですが、そこで登場してきたのが横綱双葉山の話。
横綱双葉山定次は 1939年70連勝をかけた試合で、残念ながら安藝ノ海に敗れ、記録は69連勝で止まってしまう。そのとき双葉山は体調が最悪で体重が激減し、強行出場した。彼は、黒星となり、69連勝を止められたにもかかわらず、普段通り一礼をし、全く表情を変えずに花道を引き揚げたという。「あの男は勝っても負けても全く変わらない」と言われている。

その日の夜、師と仰ぐ安岡正篤に「ワレイマダモッケイタリエズ(われ未だ木鶏たりえず)」と打電したと言われている。

さて、ここに出てきた木鶏とは荘子に納められている故事に出てくる言葉でこんな話である。
「紀悄子という男が王のために闘鶏を育てていた。闘鶏を訓練し始めて十日の後、王が紀悄子にもう大丈夫かと、きいた。 紀悄子は、まだ鶏は虚勢をはっているからだめだ、という。また十日してきくと、まだ相手の動きに心を動かすところがあるからだめだ、という。さらに十日たってきくと、もうよろしいでしょう、と答えた。そのときの闘鶏のようすが、ちょうど木鶏のようであった。これを見てはどんな相手でもこれと戦う気力を失い、逃げ出してしまった、というのである。」
「見たところ、木でつくった鶏のようだ。敵意を持たないものに対しては、これに反抗する敵はない。無心で他に対することが、万事を処理し、困難に打ち勝つ最上の方法であるというたとえ。」

本当の強さとは、何事にも動じない平常心でいられるということであろう。
人の道もまた、同じ。木鶏のごとく生きる。
これを目標としてもなかなか近づくのは難しい。
われ未だ木鶏たりえず。
成功しても失敗しても動ぜず、常に謙虚な姿勢でいることこそ本来の人に近づくということだ。
(参考 ウィキペディア / 中国古典名言辞典 講談社 )
ニックネーム uzak at 19:03| Comment(0) | 人生

2008年02月10日

人と信

子曰わく、人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり。大車なく、小車缶気・鵑弌・兇豌燭魄覆毒靴鮃圓蕕鵑筺・箆生譟^拈・萋鵝ヒ

師が言われた。「人であって信がなければ、どうにもしようがない。それは牛に引かせる荷車に轅のはしの横木がなく、馬に引かせる車に轅のはしのくびき止めがないようなもので、いったいどうして車を進めることができようか。」という意味である。(「論語」一日一言 致知出版社)

最近の企業の不祥事等をみていると、その対応の仕方でその企業の品格がわかってくる。日が経つにつれ、また同様のものが発覚したり、ころころ言い分が変わったりする企業に憤りと幻滅を感じる。一方で、すぐに自分の企業の不手際を認め、テレビ新聞、チラシ、ハガキによる陳謝と部品の交換等に何度も長期間にわたってその対応をしている企業に潔さと信頼を感じる。この差はいったいどこから来るものなのか。
人はいい状態の時その人の一部が現れるが、人は追い詰められてどん底に来たとき、その人の本性が現れる。

大事なものがなければ、その物体の存在価値はない。企業でも、人でも同様である。それが信ということになるだろう。
自分の利だけを考えるのではなく、相手の立場になってものを考えられること。間違った場合は素直に自分の非を認め、誠心誠意の行動をする。むしろ、そのような厳しい状況になって、初めてその人や企業の本質がわかってくる。

人が人であるためには、どれだけ他の人から信頼され、他の人のために行動し、社会に貢献しているかで決まる。

信を前提にした社会に全世界がなることを切に望む。
ニックネーム uzak at 15:17| Comment(0) | 人生

2008年01月27日

時の流れ

時は過去から未来へ流れるのか、それとも未来から過去へ流れるのか。
川の水は上流から下流へと流れる。
人生も同じで、一見、過去から未来へ時は流れるような気がするが時という川は未来から過去へ流れていると思う。ではその時の川の上流である自分の未来はどうなっているのか。
川を考えると上流で汚染されてしまうと下流ではどうすることもできない。逆に上流が清らかな水であれば下流でもその清らかさは維持し、飲んでもおいしいし、様々なものに利用できるすばらしい川として成立する。とすれば川の上流である未来すなわち「自分の将来像」をしっかりと持つことが重要になる。上流の源泉があいまいなものであれば清らかな水は流れてこない。しっかりとした源泉をイメージして自分の将来像を持っていれば多くの清らかな水が流れてくる。人生という船に乗り、その流れに従って上っていけばいい。
しっかりと自分の力で漕がなければ、大きな流れに流されてしまう。

悪い源泉からは悪い水が流れ、よい源泉からはよい水が流れる。
人生のよい源泉をイメージし、逆流しないようにしなければならない。
ニックネーム uzak at 10:22| Comment(0) | 人生

2008年01月14日

世界でもっとも眠らない子ども

日本の子どもは、「世界でもっとも眠らない子ども」である。
「早寝早起き朝ごはん」全国協議会の副会長、百ます計算でも知られる山英男氏(現・立命館小学校副校長)が、以前校長をつとめていた広島県内の公立小学校で「5年生の睡眠時間と国語・算数の平均点」の関係を調べたところ、次のような結果が出た。

●平均睡眠時間が7,8,9時間と、比較的長い児童ほど、国語も算数も平均点が高い
●平均睡眠時間が5時間、またはそれ以下になると、どちらの平均点も極端に低くなる。もっとも十時間以上寝ている児童になると平均点は国語も算数も加工に転じ、陰山氏は「寝てばかりいて勉強を全くしない子の学力が伸びるはずもない。」と説明したとか。

また、福岡教育大学、横山正幸教授の調査によれば、ある小学校で4〜6年生に平均的な就寝時間を聞いたところ、学力上位群では、
●夜9時半までに寝る=50%、〜10時=25%、〜10時半=25%
と、10時以降に寝る子は0%だったのに対し、学力海軍では、
●夜9時半までに寝る=20%、〜10時=15%、〜10時半=45%、〜11時=5%、〜11時半15%
と11時過ぎに寝ている子どもが15%もいた。

もちろんこれはあくまで平均の話で、限られたデータを持ってして「睡眠不足・夜更かしは学力を低下させる」などとはいいきれない。また睡眠時間には個人差があるので何歳だから何時間眠るべきだとか、何時に寝た子の学力は伸びるといった早計な結論は出すべきではないだろう。
しかしながらその子にとって必要な睡眠の量が満たされない状態を「睡眠不足」と定義するなら、睡眠不足が集中力を低下させ、学習効率を悪くし、勉強したわりには学力が伸びない、成績が上がらないという事態が起こることは十分考えられる。
ただし、それは「勉強のせいで寝不足」になっている場合であって、実は日本の子どもは、「世界でもっとも勉強しない子ども」でもある。
2002年のOECD(経済協力開発機構)の学習到達度調査によると日本の15歳の学校外学習時間は一日25分と調査参加国のなかでも最低で、とくに先進国のなかでは突出して少ない。
それでいて、「もっとも眠らない」「もっとも夜更かししている」子どもなのです。
(6歳までに我が子の脳を育てる90の方法 講談社)

なぜ就寝時間が遅いのかは様々な要因が考えられるが、残念ながら勉強していたために遅くなったということではない。共働きのために夕食や入浴時間が遅い。テレビやマンガ、ゲームインターネットなどのめり込むタイプの娯楽が多くなった等悪循環に陥っているように思う。そして朝起きる時間が遅い。時間がなく、食欲がないから朝食をとらない。朝食をとらないで学校へ行く。体や脳がまだ覚醒しないので授業を受けている。集中できない。眠い。ぼーっとしている。理解できない。つまらない、わからないから眠くなる。
どんどん悪循環という蟻地獄に引き込まれるようだ。

山氏の唱える「早寝早起き朝ごはん」を実践することが少なくとも必要になるだろう。
ニックネーム uzak at 17:04| Comment(0) | 子ども