2007年01月30日

捏造から学ぶ

食品をテーマにしたテレビ番組でのデータのすり替え等様々な捏造が発覚し、とうとう番組打ち切りの自体になった。
視聴率ばかりを追い、下請け会社に番組制作を丸投げしている体質自体を変えなければならないのかも知れない。

ニュースの映像も真実ではない。確かに報道番組の映像は事実の一部ではある。しかし、事実のすべてではない。カメラマンが意図的に事実をねじ曲げ、重要な部分を撮さず、一部分だけを撮ったとしたら、その映像は180度違ったものにもなるであろう。
映像による説得力は大きい。だからこそ、報道に携わる人は事実がねじ曲がらないように細心の注意をする必要がある。

世の中の情報というのは、正しい情報と誤った情報がどちらか判らないくらいあふれかえっている。その大量の情報の中で人はどれが正しくて、どれが誤っているのか判断し、選択しなければならない。その判断をできる力をつける必要があるのだ。それを子ども達に伝えている。

視聴者側に立つ人も、しっかりとそういう正誤の判断をしなければならない。
番組の次の日のスーパーからその商品がなくなるというのは異常であろう。
これを機に、各人がしっかりとした判断力を身につけることに力を注ぐべきであろう。
ニックネーム uzak at 03:09| Comment(0) | 人生

アイスキャンドル

アイスキャンドルを初めて作った。ポリバケツに水を入れて家の外で凍らせるのだが最初は、凍らせているのを忘れて3日も放置したものだからかちかちに凍ってしまった。
今度は、忘れないように注意して一昼夜で中の氷を取り出した。これは良くできたと思ったのだが外に置いていておくと氷の厚さ(1センチ程度)が足りず日中の温度で解けてしまった。
なかなかむずかしい。今度は二晩置いてから、氷を取り出すと周りの氷の厚さは2センチ程度の充分な厚さになり、やっと満足できるアイスキャンドルが完成した。

バケツに入れた水はどこから凍るかというと外側から凍る。底の氷は凍るが薄い。
体験してみないと意外と知らない人もいるかも知れない。
水の真ん中は人でいうと心。固い信念を持ち、燃えるような情熱を持っていれば心は凍らない。いつでもそうでなければならない。
氷は、そんなことを教えてくれているかのようだ。

冬の冷え切った夜、氷の中心に炎を灯す。
冷え切った人の心にも炎を灯す。
ニックネーム uzak at 00:45| Comment(0) |

2007年01月24日

プロの条件

仕事や勉強スポーツなど様々な分野において、プロとアマの違いは何だろう。
第一はプロは「自分で高い目標を立てられる人」だということ。
自分なりにほどほどでいいこの程度でいいだろうと、目標を低く設定しようとするのがアマである。プロは自分で高い目標を立て、その目標に責任を持って挑戦していこうとする意欲を持っている。

第二は、「約束を守る」ということだ。
約束を守るというのは、成果を出すということである。自分に与えられた報酬にふさわしい成果をきっちりと出せる人、それがプロである。

第三は「準備をする」。
プロは「絶対に成功する」と言う責任を自分に課している。絶対に成功するためには徹底して準備をする。準備に準備を重ねる。そうして勝負の場に臨むからプロは成功するのである。表現を変えればプロは寝てもさめても考えている人である。

第四は、プロは「進んで代償を支払おうという気持ちを持っている」ということだ。
プロであるためには高い能力が不可欠である。その高い能力を獲得するためには、時間とお金と努力を惜しまない。犠牲をいとわない。代償を悔いない。それがプロである。

最後に一流といわれるプロに共通した条件をあげる。
それは「神は努力するものに必ず報いる、と心から信じている」ということである。不平や不満はそれにふさわしい現実しか呼び寄せないことを知り、感謝と報恩の心で生きようとする、それが一流のプロに共通した条件である。
(致知2003年8月号)

最近、食の安全を第一に考えなければならない一流企業の不祥事があり、かわいらしい人形の笑顔をもう見られなくなるかもしれないと思うと非常に残念である。
過去にも車や食品マンションストーブ、給湯器、シュレッダー等様々な一流企業の不祥事があった。政治も同様、汚職や疑惑、嘘で国民を騙すようなことが続けば国は滅びてしまうだろう。元タレントのそのまんま東さんが宮崎県知事選で初当選した。政治家不信の現れと感じた。それぞれの分野で大切なことはプロフェッショナルとして当然のことをする。つまり、「信」を違えないことであろう。

自分はどれだけの条件を満たしているのか。満たすべく努力をしているのか。
それぞれが人生のプロを目指したいものだ。
ニックネーム uzak at 16:51| Comment(0) |

2007年01月03日

除夜の鐘と108

除夜の鐘は108回撞かれる。
人間には108の煩悩があり、それを払うために鐘を撞くと言われる。
この回数には、諸説がある。

1. 眼(げん)・耳(に)・鼻(に)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪・(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。
2. 月の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数が108となり、1年間を表す。
3. 四苦八苦を取り払うということで、4×9+8×9=108をかけたとも言われている。
他にも108という数字に関係することは様々なものがある。

野球のボールの縫い目も108あるが、この108という数字は様々な性質がある。
108 は合成数であり、約数は1,2,3,4,6,9,12,18,27,36,54と108である。
108 = 11・22・33
テトラナッチ数列の9番目の数。テトラナッチ数列とは「前の4項の和」で
1, 1, 2, 4, 8, 15, 29, 56, 108, 208, 401, 773, 1490, ...
108は8, 15, 29, 56, の和である。
正五角形の一つの内角。
原子番号 108 の元素はハッシウム(Hs)である。
銀の原子量は約108である。
数珠の玉の数は108。

『南総里見八犬伝』に登場する8つの霊玉(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌)は、伏姫の持っていた水晶の数珠のうち8つの大玉が飛び散った物で、残りの100個の小玉は連ねられ、丶大法師(ちゅだいほうし)が所持する数珠となっている。
中国の小説『水滸伝』では百八の魂が飛び散りそれぞれ豪傑英雄として各地に現われる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

仏教で言う煩悩の数が108であるのを基に様々なものがあるようだが、108という数字に親近感を感じるようになった。
ニックネーム uzak at 05:08| Comment(0) | 人生