鏡は鑑とも書き、鑑の字を解釈すると、臥は『臣(伏した目)+人』で人がうつぶせになること。監は『皿の上に水+臥」で、大皿に水をはり、その上に伏せて顔をみること。水かがみでしげしげと姿をみさだめること。昔は水かがみを用い、盆に水を入れ、上からからだを伏せて顔をうつした。春秋時代から後は、青銅の面を平らに磨いて姿をうつすようになったので、金へんをそえ、鑑の字となった。(参考 漢字源 学研)
「鑑明らかなれば則ち塵垢(じんく)止まらず。」(荘子)
鏡がきれいになっていれば、そこにはちりあか一つとどまらない。
つまりここでいう『鏡』は人の心であって、よく磨いていれば、そこに汚い考え方など生じてこない。
「水は波たたざれば、則ち自ずから定まり、鑑は翳(くも)らざれば、則ち自ら明らかなり。」(菜根譚)
波が立っていなければ、水は安定し、自然清く澄んでいる。よごれのない鏡は、自然明るい。同様に、人間の心も感情が波立ち、悩み事に苦しみさえしなければ、本来の明徹さを保つものである。
鏡は清を執(と)りて事なし。(韓非子)
鏡というものは、自分の表面をきれいにとり守って、外物をいかにうつそうかと意をも用いることはしない。美しいものも醜いものもありのままに映す。人間もそのように、心をむなしくして外物に接すべきだ。
水に自分の姿を映すことから鏡という字ができあがっているが自分の身の回りに起こることや自分の置かれている環境は、自分の心の鏡写しなのである。一見自分とは無関係に感じるすべてが自分の考えや言動に起因して展開されてきた結果なのである。鏡は良いことも悪いことも現実をその通りに映すだけであるから、心は常に前向きであり、積極でなければならない。だから、現在の状況に不平不満を言い放すのではなく、自分の思いや身近な人への許しや感謝の気持ちでいると周りの出来事が良い方向へと変わってくる。また様々な出来事に動揺せず、感情的にならず、常に「平常心」でいることが重要なのだ。
自分の心というかがみを常に磨いておかなければならない。
(参考 「中国古典名言辞典 講談社」 「鏡の法則 野口 嘉則」)









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