師が言われた。「人であって信がなければ、どうにもしようがない。それは牛に引かせる荷車に轅のはしの横木がなく、馬に引かせる車に轅のはしのくびき止めがないようなもので、いったいどうして車を進めることができようか。」という意味である。(「論語」一日一言 致知出版社)
最近の企業の不祥事等をみていると、その対応の仕方でその企業の品格がわかってくる。日が経つにつれ、また同様のものが発覚したり、ころころ言い分が変わったりする企業に憤りと幻滅を感じる。一方で、すぐに自分の企業の不手際を認め、テレビや新聞、チラシ、ハガキによる陳謝と部品の交換等に何度も長期間にわたってその対応をしている企業に潔さと信頼を感じる。この差はいったいどこから来るものなのか。
人はいい状態の時その人の一部が現れるが、人は追い詰められてどん底に来たとき、その人の本性が現れる。
大事なものがなければ、その物体の存在価値はない。企業でも、人でも同様である。それが信ということになるだろう。
自分の利だけを考えるのではなく、相手の立場になってものを考えられること。間違った場合は素直に自分の非を認め、誠心誠意の行動をする。むしろ、そのような厳しい状況になって、初めてその人や企業の本質がわかってくる。
人が人であるためには、どれだけ他の人から信頼され、他の人のために行動し、社会に貢献しているかで決まる。
信を前提にした社会に全世界がなることを切に望む。









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