2008年03月30日

時間を計る

書くだけで痩せる
 そんな夢のようなことがあるのかと思うかも知れないが実際に痩せた人がいるきちんとしたダイエット法なのである。「レコーディング・ダイエット」とも呼ばれている。
それは、これだけを食べるとかカロリー制限をするとかという物とは違い何を食べても良いが食べたものすべてを記録し、体重を量り記録するというものである。
これは、実際に食べたものを書き出すことで何となく食べていたことや想定していない時間に食べていることなどを知ることになる。自分に対し様々な気づきを生じさせる。その結果痩せることになる。
 速く問題を解くにはどうすればよいか。書くスピードを2倍にすればよい。2倍のスピードで書くつもりでいると実際、1.5倍位速くはなる。しかしそれ以上は厳しい。
問題を解くときにストップウオッチなどで時間を計ることをおすすめする。それだけで解くスピードが速くなる。現在、センター試験をはじめ、試験では時間が限られている。時間内にいかに多くの問題を正確に解けるのかが問われている。これは実社会でも同様である。一つの問題を何日もかけて解決していたのでは事態が悪化し、収拾がつかなくなることがある。現代は短期間で解決することが要求されるスピード社会なのである。
 さて、解く時間を計り、それを記録するだけで必ず速くなる。ほとんどの人が時間を意識することなく無意識に過ごしていることが多いが時間を計るとなるとそれを意識せざるを得ない。そしてその結果を記録することで「ずいぶん時間がかかっているな」とか「もっと早く解こう」とかという考えがでてくる。実証済みなので是非試して頂きたい。
 時間にとらわれたくないという人もいると思うが、人生そのものが時間で出来ている。
自分だけのゆったりとした時計がほしいものだ。
ニックネーム uzak at 10:41| Comment(0) | 教育

2007年12月23日

入力することと引き出すこと

教育を表す英語 「education」を辞書で調べると、語源は「子どもの資質を引き出すこと」とある。

教育とは教えること、教わることと考える人が多いと思うが、本質的な意味は少し違う。画一的な教育の副作用か。穴埋め問題、選択枝問題に代表されるテストが勉強だと思っている人もいるのではないだろうか。記述問題になるととたんに解答用紙は空欄になってしまう。問題の本質をとらえる理解力と解答を考えるだけの語彙力がなく思考力がない、そして表現力もない。勉強がクイズのようになってしまう。マルでなければバツ。選択肢1でなければ選択肢2。間違うことはかまわないのだが、なぜそうなるかの検討はない。
もっと極端になると問題文を読むことなく選択肢だけをにらんで答えを出す。そのような人を「恐怖の選択肢人間」と呼んでいる。日本の教育はこのような人を大量生産しているのか。様々なことを「入力すること」も必要だが、もっと重要なことは「引き出すこと」である。

様々な状況がこのような結果を招いている。現代はスピード社会。確かに様々な機械やコンピュータを使い、すぐに結果が出る社会は人の生活環境を劇的に便利にした。しかし、すぐに結果が求められる社会であり、すぐに結果が出せなければまるで人間失格とでも言う遊楽印を押されることになる。そう言う意味で大器晩成型は不利だ。誰もが待ってくれない。

指導者も考えさせられる。「魚釣り」に例えると魚をそのまま与えてしまっては今は良くても自立出来ない。本当に必要なことは、魚を与えることではなく、釣り方を教えることである。そしてさらには、みずから研究し、釣り名人にすることである。

教育とは、単純に答えを教えることではなく、思考方法や考え続ける忍耐力の必要性を教える。
究極の指導法は、「教えないこと」。大切なことは自分で気づかせて、自分で考えさせて、自分で進んでいかせること。
植物に例えると、良く伸びるようにと化学肥料をやる。確かに伸びるが非常に弱い。大切なことは、周りの環境を整え、見守ってあげること、そして声をかけ、励ますこと。
そうすれば、嵐が来ても倒れない立派なものに成長するであろう。
ニックネーム uzak at 13:20| Comment(0) | 教育

2007年12月16日

真の学力

競争は必要でしょうか?大人数の中で「何点とった」とか「何番だった」とか自分の成績を他の人と比べ、一喜一憂する。さて、そこにどれだけの意味があるのでしょうか?確かに他の人より点数や順位が良ければ優越感があります。しかし、定期試験で点を取るためだけの勉強や、高校へ入学するためだけの勉強は、公式に数字を当てはめるだけだったり、丸暗記をしているだけだったりとその場限りのみかけの学力であって、学習する上で大切な「「読解力」や「思考力」は一向に身につきません。
自分自身で読み、自分自身で考え、自分自身で解けることを第一に指導しています。「自分の力で考える」ということは「自分の力で生きていく」ということです。
この「自分の力で考える力」を身につけるということは並大抵のことでは出来ません。膨大な知識を覚え、多くの問題に挑戦し、さらにどんなに時間がかかってもあきらめない「忍耐力」を身につけなければなりません。それは他人との競争ではなく、自分自身との厳しい戦いなのです。この「生きる力」を個々に合わせて身につけてもらうには少人数でなければ指導できません。その厳しさを乗り越えたとき、点数や順位が後から結果としてついてきます。
この「生きる力」である「真の学力」を小学生から習得していかなければならないと考えています。「真の学力」を身につけた子どもは大きく成長していきます。
子どもの成長は学校のテストでは測れません。私たちは子どもたちの成長を指導を通してずっと見守ってきました。
私たちは今後も親と共にこれからの学力を考え、子どもの成長を見守っていきます。
ニックネーム uzak at 16:50| Comment(0) | 教育

2007年12月02日

ダイズ

ダイズの豆を蒔き、光の当たらないところで水をやり育てるともやしができる。
それに対し、日光がさんさんと照り、水を十分に与えると豆は発芽をし、自分と同じ豆を実らせる植物として育っていく。

同じ豆であっても環境の違いによって成長は大きく異なる。
人も同様で、家庭環境によって成長が変わってくる。家族が前向きな考え方をし、肯定的な言葉を子どもに発し、充分な愛情を注ぎ込んでいれば自立した立派な成人になる。しかし、否定的な言葉が多く、褒めることもなく、感情的に怒られることが多く、愛情よりも憎悪を感じるような言動がある環境では子どもが正常に育つはずがない。せっかくの能力を使わずして終わってしまう。
これは親子だけでなく、夫婦間や学校や職場、様々な場面でも同様のことがいえよう。

夢を実現する子に育てるには、家庭での環境を良くしていく必要がある。子どもそれぞれがいい能力を秘めているにもかかわらず、芽を摘むことになってしまう。決して、子どもを甘やかすと言うことではない。肥料のやり過ぎは根を腐らせる。厳しい家庭であっても、そこに言動の一貫性や信念があり、愛情があれば子どもはしっかりと育つ。間違いを犯すような子になるとはとうてい考えられない。

こういう子に育って欲しいと願う親としては、まず自分自身から変わっていかなければならないだろう。そうして、そばらしい環境を是非準備してあげてほしい。未来は子どもたちのものだから。(参考 堀井学さん講演会より)
ニックネーム uzak at 12:37| Comment(0) | 教育

2007年11月29日

電波塔

元スピードスケートオリンピック選手の堀井学さんの師匠である故酒井コーチは「自分は携帯電話の鉄塔だ。そして、選手は携帯電話だ。」と言ったそうだ。

指導者は常にそれぞれに言葉や指導という強い電波を発していなければならない。そして同じように電波を発していても、アンテナが1本の人もいれば3本の人もいるし圏外の人もいる。つまり、どんなに強い発言をしても受け手によってその影響力は変わってくる。ましてや、電波は見えないから全く気づかない人もいる。

学ぶ側にとっては指導者の言葉を受け入れる素直な心が必要であろう。そして気づきが必要だ。

指導者は、電話会社が違ったり、受信状況が悪かったり、電源が切れていても伝わるくらいの強い影響力を与えられる力を持っていなければならないだろう。それぞれの携帯電話を震わせる力だ。

数々の日本代表選手を生み出していった名コーチの冥福を祈りつつ、指導者として、少しでも強く、電波が届くように大きく、そして高い電波塔にならなければならないと心に刻むのであった。(参考 堀井学さん講演会より)
ニックネーム uzak at 11:45| Comment(0) | 教育

2007年02月13日

木は光をあびて育つ 人は言葉をあびて育つ

木は、さんさんと注がれる太陽の光りをあびて育つ。
もちろん水や酸素、二酸化炭素も必要であるが光がなければ大きく育つことはできない。
では、人は何で育つのだろうか?

人は言葉をあびて育つ。
現代人にとってメールや電話などコミュニケーションの取り方は様々な形になった。しかし、面と向かって相手の表情を見ながら会話することこそ重要であって、特に小さな子どもにとって、非常に重要であると感じる。
まだしゃべることができない乳児であっても「かわいいね」とか「寒くないかな?」などと話しかけることで脳に情報が送られ、刺激となって成長していく。
そこから、語彙や知識、思いやりの心など様々なものを受け取り成長していくことになる。核家族化が進み、地域社会との関係が薄くなった今では少なくなってしまった。おじいちゃんおばあちゃんからのやさしい言葉掛けが子ども達の成長に大きく影響しているのではないだろうかと思う。

ここに1984年と2004年に小学校高学年を対象に取ったあるアンケートの興味深い結果がある。(「子ども達の自然体験・生活体験等に関する調査研究」「青少年教育活動研究会」「子ども達の体験活動等関する調査研究」[川村学園女子大学子ども調査研究チーム])

@1回も見たことがない
1984年  19.7%
2004年  50.7%
A1回もしたことがない
1984年  20.7%
2004年  47.4%
B1回もしたことがない
1984年  15.2%
2004年  41.5%

@は「日の出と日の入りのどちらか」。見たことがないという子どもが半数を超える。
Aは「魚釣り」、Bは「自分の背より高い木に登る」。いずれも経験がない子どもは2倍以上に増えている。自然が減り、親子の会話が減り、親子で過ごす時間が減り・・・子ども達と自然との距離が20年で大きく離れてしまった。今後はもっと離れていくことになるのだろう。
自分のことを振り返れば、川に入り、ザリガニを捕ったり、山の中で陣取り合戦をしたり様々な経験を通じて本物の知識を得た。それは教科書や辞典に書いてある知識とは明らかに違う。
温かい言葉をたくさんあび、自然にたくさん触れ、友達とたくさん遊んだ人は、夢を持ち自立心を持って自ら育つのではないだろうか。 
(参考 奇跡と呼ばれた学校 朝日親書 荒瀬克己著)
ニックネーム uzak at 14:15| Comment(0) | 教育

2006年08月30日

良い人を育てる、それが食育

『2005年7月、食育基本法が成立し、食育は国民運動として展開されようとしている。死亡原因の64.8%を占める生活習慣病の低年齢化もさることながら食料自給率の低下も職の乱れによる青少年犯罪の凶悪化、すべて日本の将来を脅かしかねない重要な問題だ。

躾をする大切な時期である三歳から八歳頃に一日三回、一年間で計1095回食事のチャンスがある。その内の180日ほどは学校給食があり、クラブ活動、塾などで遅くなることもあるがそれでも年間に800回ほどは家族と一緒に食卓を囲む機会があった。
しかし、この数字はいま150回前後まで低下し、 中には50回以下という家庭すらある。問題は食事の回数だけに留まらなかった。かつての日本では家族一緒に同じもののを食べるのが常でしたが今は親子別々に好きな料理を食べている。これを「個食」(バラバラ食)と呼んでいる。このような家庭は、栄養に偏りがあるだけでなく、わがままで協調性の無い子どもを育ててしまう。キレる、ムカツク、そして揚げ句に殺傷事件を起こしてしまう青少年を増やす温床ともなっているのが現実。

「こ食」には「個食」のほか「孤食(家族が不在の食卓において一人で食べること)、「固食」(自分の好きな決まったものしか食べないこと)、「小食」(いつも食欲が無く食べる量が少ない)、「粉食」(パン中心の粉を使った主食を好んで食べること)がある。「こ食」になったら心と体の赤信号。身体に悪いだけでなく性格まで変わってしまう。当然正しい食事作法や食文化が身に付くわけがない。
食育がしっかりしていないと、知育、徳育、体育はバラバラになってしまう。

食育の3つの柱
1 「選食力」健康を維持する食べ物をきちんと選ぶ力を身につける。インスタント食品やファストフードのように手軽で手短な食事ではなく、旬の食材や栄養素の組み合わせを考えて食べることが必要で、親も食に対する知識と選食力を身につけることが大切である。
2 食事作法を身につけること。日本にいる欧米人が箸を上手に使っている野に対し、学校の先生の47.1%が正しく箸を持てないという調査結果がある。「正しい箸の使い方」「食べ物を粗末にしない」「好き嫌いをなくすこと」「いただきます」「ごちそうさま」という習慣を身につけさせて欲しいものだ。
3 地球の食を考える。日本の食糧自給率はカロリーベースで40%と先進国では最低の水準である。約40年前の昭和40年に73%だったことを考えるとどれだけ低下したかわかるでしょう。しかも60%は海外からの輸入に頼っていながら食料の3分の1を残飯として廃棄している。このような恐ろしい現実を日本人のほとんどが知らない。そのような教育を受けていないからである。

世界に目を向けると、8億4200万人が上や栄養失調で苦しみ、年間1250万人が餓死している。東京都の人口と同じくらいの人々が食べられなくて死んでいる。この現実に目もくれず、当たり前のように飽食を謳歌している日本人に強い危機感を抱いた。

良い人を育てる、それが食育
13年前世界20カ国の高校生に「先生を尊敬しているか」という調査をした。最も高かったのが韓国の84.9%。次いで欧州の82.7%、アメリカの82.2%、中国の80.3%などとなっている。これに対して日本は21%という驚くべき結果が出ている。50%を切ったら国歌として危ないと言われている数字である。

食育推進会議では、2010年度を目標
@ 食育に関心を持つ国民の増加(90%以上に)
A 朝食を欠食する国民の割合の減少(小学生で0%、2,30歳代男性でともに15%以下)
B 学校給食における地場産業を使用する割合の増加(30%以上)
など9項目を揚げて取り組んでいる。

「食」という文字を分解すると「人」「良」となる。一人でも多く良い人を育むこと、それが食育の究極の目的なのである。』(致知 2006年8月号 青少年への食育がこの国を救う 医学博士 服部幸應 より抜粋)

今の日本で起こっている問題の原因を探っていくと、学校教育の崩壊、家庭の崩壊、そして「食」の問題にたどり着く。日本という国は経済や科学技術の面で高度成長を続け、国民の平均的な経済的水準は素晴らしいが、国民の心の水準は世界平均より上に位置するとは言い難い。物質的な豊かさが満たされているにもかかわらず、心は満たされていない人が非常に多い。教育基本法で愛国心の問題が出ているが、日本人がもっと日本食の良さを理解し、日本食を食べることが本当の意味での愛国心ではないだろうか。
日本を良くしていくには、「朝食をしっかり食べる」「正しい箸の使い方をする」など大人も子どもも今すぐに実行できることをみんなで取り組むことである。
この日本を次の世代に継承していくには、「食」というものにもっと国民一人ひとりが関心を持つことが重要である。
ニックネーム uzak at 13:01| Comment(0) | 教育

2006年02月14日

言葉の力

「ゆとり」から「言葉の力」へ。
文部科学省が時期学習指導要領の基本的な考え方として「言葉の力」を理念に掲げるようだ。

人間が人生において生きる上で「言葉」を考えていくことは大切だ。
人間というのはどうもしゃべらないとうまく生きていけないように思う。
人と人のコミュニケーションはもちろん、細胞レベルでも情報の伝達が行われている。
遺伝子レベルでも情報の伝達が行われている。
この情報伝達がなくなった時、細胞は死を迎えるのだそうだ。
言葉が人の心に与える影響は非常に大きい。
きちんとした言葉、ていねいな言葉、きれいな言葉は聞いていても気持ちが良いし、
人の心を颯爽、溌剌たる状態にしてくれる。
言葉は「言葉の暴力」として、人を傷つけることもあれば、「言葉の救世主」として、勇気を与えられ生きる活力となることもある。
それだけ、言葉が人に与える影響は大きいということだ。

いま日本語は、みだれていないだろうか。
短縮形が多く、○○系、「私的には」などのぼかし言葉
新しい造語や意味のない叫びなどが優位に立ち
わざと悪ぶった言葉が格好いいと、もてはやされる。
間違った使い方も許される状態。
近年それを食い止めるべきはずの大人やアナウンサーまでもがそれらの言葉を使うようになった。
言葉は習慣であるから、知らず知らずのうちにそれらの言葉を使っていることが多い。

いまこそもう一度、大人が正しく美しい日本語を使い、子ども達に伝えていこうではないか。
きちんとした言葉や美しい言葉を発する人は、きちんとした行動や美しい行動、立ち居振る舞いができるようになるはずだ。

美しい日本語は何処に・・・
まずは自分自身の言葉遣いから改めたい。
ニックネーム uzak at 12:00| Comment(0) | 教育

2006年01月25日

急がば回れ

急がば回れとは、急ぐときには危険な近道より、遠くても安全な本道を通るほうが結局早い。安全で着実な方法を取れという戒めである。
今の教育を考えると学力低下やモラルの低下が著しい。
これらの対策も後手後手になり、その場しのぎの付け焼き刃的な対策しかしていないようにみえる。

学生時代の試験でも試験日は決まっているのだから相当な余裕をもって、少しずつ準備をしておけばよいものを直前になってから勉強する。
いわゆる一夜漬けだ。
試験が終われば水のように記憶はなくなっていく。
これでは本当の学力などつくはずもない。
言うセリフは決まっている「もっと早くやっておけば良かった。」

これからの教育に必要なのは、その場しのぎの学力ではなく、本当の力である。
今こそ教育の原点に返り、再構築する必要があるだろう。
考える力や、発想力、想像力は、ある程度の教養の上に成り立っている。
それはできるだけ年少期における知識の詰め込みによると思う。
かつての日本は、寺子屋などで古文や論語の素読などを行っていた。
その頃の子ども達は少なくとも犯罪などを起こす事は少なかったはずだ。

現在は、早期の英語教育、コンピューター教育、総合学習などを実施しているが国語力や数学力などがない状態では本当の力はつくはずがない。
もっと、ゆっくりでも良いから本質的な知識を身につけさせた上でこれらの教育を考えるべきだと思う。

現代社会は、すぐに結果を要求しすぎるのではないだろうか。
もっと腰を据えて、本質的な学力と人間力を身につけなければならない。
そうしなければ日本はなくなってしまうだろう。
「読み、書き、計算」いつの世もこれが人間の基礎ではないでしょうか。
ニックネーム uzak at 17:09| Comment(1) | 教育

2005年08月19日

人は何のために勉強するのか?

「何のために勉強するの?」子ども達から必ず出る質問である。
人は何のために勉強するのか。この問いに以前、あるホテルの料理長がこう答えてくれた。
料理というのは、食べる人においしく食べていただくために食材や調理法などいろいろ勉強してその食材のおいしさを引き出すようにして、食べてもらう。そして喜んでもらう。もし、同じ食材を使っても勉強していなければ、おいしくつくることはできないんだよ。だから、勉強するということは、人に優しくするためなんだよ。」

「人に優しくするために勉強する。」
私は感動し、ずっとこのことを子ども達に伝えてきた。
たとえば、あなたに好きな子がいたとする。その子が好きなことや興味のあることで自分は何も知らなかったとする。きっと、あなたはそれらを調べようとするだろう。
それが音楽なら聞いてみる。それがスポーツなら見てみる。好きな作家がいるなら本を読んでみる。きっとその子が好きなことを自分も理解し、好きになろうとする。
そして、「私もそれが好きなんだ」って言うだろう。それを共感することに喜びを感じるであろう。

勉強するってことは、英語とか数学とかだけでなく、「自分で調べて学ぶ」ことである。
スポーツ選手なら感動的なプレーを見てもらい、歌手なら歌声に酔ってもらい、弁護士なら安心してもらい、医者なら命を助け、先生なら理解してもらい・・・。
どんな職業でも相手や周りの人に喜んでもらうためにはその分野はもちろん他の分野のことにおいても一生涯、勉強や努力が必要なのだ。

「人に夢を与える職業なら 陰で何倍も努力しなければならない。」
私は日々思いつつ努力している。
ニックネーム uzak at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育