2008年08月03日

アイザック・ニュートンに学ぶ

アイザック・ニュートンはりんごが木から落ちるのをみたことで万有引力があることを発見したという逸話で有名であるがこれはどうも後から作られたものであるようだ。
重力があることはニュートン以前からわかっていたことである。彼は、「りんごが木から落ちるのに月はなぜ落ちないのか?」という問いを10日近く考えたそうだ。しかし、答えは出なかった。普通の人であればここであきらめてしまうところであるがニュートンのすごいところは、「この天才的な自分が10日考えてわからないのだからこの問いが間違っているのだ。」
つまり、「りんごが木から落ちるように月も落ちているのではないか?」と自分の問い自身を全否定し、もう一度考え始めたことである。天体の動きがケプラーの法則によって導かれる事とりんごが落ちるという重力との関係は同じ現象でこれが、万有引力の法則と呼ばれる。月が地球の真上の位置から動いたとすると慣性の法則でいえばそのまま地球から離れてしまうところ、地球の重力によって下に引っ張られる(落ちる)ことで地久の周りを落ち続け、つまり回り続けることになる。この円運動の仕組みにより、人工衛星が地球の周りを回り続けることができる。

このニュートンに学びたいのは、膨大な知識や教養を習得すること。ひらめきを大切にすること。そして、答えが出るまであきらめないこと。
科学者ではなくとも、これを学習に仕事に、そして人生に活かしていきたいものだ。
(参考 代々木ゼミナール 物理学者達の物語)
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2008年07月02日

徒歩通勤

自宅から徒歩通勤している。というのも7月に入り、ガソリンの値段は180円を超える。これだけ燃料費が上がるとどこの家庭もたまったものではない。こずかいも減らされかねない。少しでも節約、少しでもCO2削減に貢献するため、そうしている。というと聞こえはいいが実際は、かなり運動不足だからというのが本音だろうか。まあきっかけはともあれ、やはり歩くというのはいいものだ。車を手放せない生活をしていると本当に歩かなくなったのでちょうどいい。
歩いていると普段気がつかなかったようすに気がつく。ずいぶん雑草が生えているな、とか花がきれいに咲いているなとか、この家の庭はよく手入れが行き届いているとか、この道は夜になると真っ暗だなど、車のスピードでは感じられないことを感じ取れる。また歩いている間にいいアイデアが浮かんだりするものだ。
今の現代のスピード時代にあえて、タイムシフトしてゆったりとした時間を作ってみることも重要である。
本当に厳しい世の中になってきたけれど、花は無心で一所懸命美しく咲いている。
花は無私の心で咲いているから美しいといえるだろう。
花はそんなに悩まなくてもいいよと無邪気に話しかけてくる。
花は一所懸命やればいいと笑顔で話しかけてくる。
本気で地球のことを考えてあげないといけない時期に来ている。

徒歩通勤がリラックスし、前向きになれる時間であることに感謝する。
ぜひ、人生の徒歩通勤をしてほしいものだ。
ニックネーム uzak at 14:00| Comment(0) | 人生

2008年03月10日

SUBWAY

札幌にSUBWAYを見つけて、うれしくなって店に入った。北海道に初上陸ということであった。
SUBWAYとはアメリカで生まれたサンドイッチのファーストフード店のことである。
個人的にはハワイで食べた本場の味が忘れられない。
SUBWAYとは地下鉄のことであると思っていたがその由来は違っていた。
潜水艦型のパンにハムや野菜を挟んだサブマリンサンドの「SUB」に、あなた好みに作るという意味の「WAY(MYWAY,YOURWAY」を組み合わせた造語ということだ。

このSUBWAYをつくったのはアメリカのフレッド・デルーカ。彼はニューヨークの下町生まれで決して裕福とは言えない家庭で育った。そのことは不幸ではなかった。彼はこの家庭環境の中で、幼い頃から自分で「稼ぐ」ことを自然なこととしてとらえてきた。
自分の置かれた境遇に対し、前向きに捉え、マイナスをプラスに替えていった。
彼は店の狭さや人手不足等の制約の中で「サブウェイ」独自のスタイルが生まれている。
定員が大勢いる店舗なら、「調理する人」と「販売する人」が分かれている方が作業効率がいい、しかしサブウェイではそれができない。そこで考え出された苦肉の策が「作りながら売る」という方法だ。最初はお客に背を向けてサンドイッチを作っていたのをお客と向き合って作る方法に変えていった。それにより、注文内容の間違いが減る、来店したお客にすぐ気が付く、お客を退屈させないなど様々な利点が生まれた。
人が少ないからできないという短所を、お客と向き合い、嫌いな野菜は入れないなど細かい注文にも柔軟に対応する「オーダーメイドシステム」という長所に変えていったのである。目の前で作るのだから、いつもフレッシュでおいしいサンドイッチである。
それはまるでディズニーランドのアトラクションのように楽しく、好感が持てる。

これは仕事や家庭、人生にも同じことがいえる。自分の置かれた境遇に文句を言いながら、改善せず、何もしないということがないだろうか。一見、最悪の状態に見えることが実はすばらしい個性になるのだ。それは前向きな心構えのなせる技であり、否定的な考えでいたのでは何も変わらない。見方を変えれば、それは最高の状態と言えよう。問題はそう思える心を持っているかということだ。
常に積極の心でいる必要があるのだ。

(参考SUBWAY HISTORY http://www.subway.co.jp/history/)
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2008年02月25日

木鶏

先日、ドラマ金八先生を見ていると、相撲少年の話だったのですが、そこで登場してきたのが横綱双葉山の話。
横綱双葉山定次は 1939年70連勝をかけた試合で、残念ながら安藝ノ海に敗れ、記録は69連勝で止まってしまう。そのとき双葉山は体調が最悪で体重が激減し、強行出場した。彼は、黒星となり、69連勝を止められたにもかかわらず、普段通り一礼をし、全く表情を変えずに花道を引き揚げたという。「あの男は勝っても負けても全く変わらない」と言われている。

その日の夜、師と仰ぐ安岡正篤に「ワレイマダモッケイタリエズ(われ未だ木鶏たりえず)」と打電したと言われている。

さて、ここに出てきた木鶏とは荘子に納められている故事に出てくる言葉でこんな話である。
「紀悄子という男が王のために闘鶏を育てていた。闘鶏を訓練し始めて十日の後、王が紀悄子にもう大丈夫かと、きいた。 紀悄子は、まだ鶏は虚勢をはっているからだめだ、という。また十日してきくと、まだ相手の動きに心を動かすところがあるからだめだ、という。さらに十日たってきくと、もうよろしいでしょう、と答えた。そのときの闘鶏のようすが、ちょうど木鶏のようであった。これを見てはどんな相手でもこれと戦う気力を失い、逃げ出してしまった、というのである。」
「見たところ、木でつくった鶏のようだ。敵意を持たないものに対しては、これに反抗する敵はない。無心で他に対することが、万事を処理し、困難に打ち勝つ最上の方法であるというたとえ。」

本当の強さとは、何事にも動じない平常心でいられるということであろう。
人の道もまた、同じ。木鶏のごとく生きる。
これを目標としてもなかなか近づくのは難しい。
われ未だ木鶏たりえず。
成功しても失敗しても動ぜず、常に謙虚な姿勢でいることこそ本来の人に近づくということだ。
(参考 ウィキペディア / 中国古典名言辞典 講談社 )
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2008年02月10日

人と信

子曰わく、人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり。大車なく、小車缶気・鵑弌・兇豌燭魄覆毒靴鮃圓蕕鵑筺・箆生譟^拈・萋鵝ヒ

師が言われた。「人であって信がなければ、どうにもしようがない。それは牛に引かせる荷車に轅のはしの横木がなく、馬に引かせる車に轅のはしのくびき止めがないようなもので、いったいどうして車を進めることができようか。」という意味である。(「論語」一日一言 致知出版社)

最近の企業の不祥事等をみていると、その対応の仕方でその企業の品格がわかってくる。日が経つにつれ、また同様のものが発覚したり、ころころ言い分が変わったりする企業に憤りと幻滅を感じる。一方で、すぐに自分の企業の不手際を認め、テレビ新聞、チラシ、ハガキによる陳謝と部品の交換等に何度も長期間にわたってその対応をしている企業に潔さと信頼を感じる。この差はいったいどこから来るものなのか。
人はいい状態の時その人の一部が現れるが、人は追い詰められてどん底に来たとき、その人の本性が現れる。

大事なものがなければ、その物体の存在価値はない。企業でも、人でも同様である。それが信ということになるだろう。
自分の利だけを考えるのではなく、相手の立場になってものを考えられること。間違った場合は素直に自分の非を認め、誠心誠意の行動をする。むしろ、そのような厳しい状況になって、初めてその人や企業の本質がわかってくる。

人が人であるためには、どれだけ他の人から信頼され、他の人のために行動し、社会に貢献しているかで決まる。

信を前提にした社会に全世界がなることを切に望む。
ニックネーム uzak at 15:17| Comment(0) | 人生

2008年01月27日

時の流れ

時は過去から未来へ流れるのか、それとも未来から過去へ流れるのか。
川の水は上流から下流へと流れる。
人生も同じで、一見、過去から未来へ時は流れるような気がするが時という川は未来から過去へ流れていると思う。ではその時の川の上流である自分の未来はどうなっているのか。
川を考えると上流で汚染されてしまうと下流ではどうすることもできない。逆に上流が清らかな水であれば下流でもその清らかさは維持し、飲んでもおいしいし、様々なものに利用できるすばらしい川として成立する。とすれば川の上流である未来すなわち「自分の将来像」をしっかりと持つことが重要になる。上流の源泉があいまいなものであれば清らかな水は流れてこない。しっかりとした源泉をイメージして自分の将来像を持っていれば多くの清らかな水が流れてくる。人生という船に乗り、その流れに従って上っていけばいい。
しっかりと自分の力で漕がなければ、大きな流れに流されてしまう。

悪い源泉からは悪い水が流れ、よい源泉からはよい水が流れる。
人生のよい源泉をイメージし、逆流しないようにしなければならない。
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2008年01月06日

今年(2007年)の漢字

毎年選ばれる今年(2007年)の漢字は「偽」。
様々な偽装が相次いだ年であるから、仕方がないが、何とも悲しい。
偽装、偽善、偽証、偽言、など偽を使った言葉を並べると何ともいい感じはしない。

本来の意味を調べると、為は「手+象」で人間(イ)が手で象をあしらって手なずけるさまを示す。作為を加えて本来の性質や姿をためなおすの意を含む。〔漢字源 学研〕
そのもととなる為という字の「為す」という意味が偽に保存されているらしく、現在のように悪い意味ばかりではないようだ。

論語に「人の為に謀りて忠ならざるか。」とある。私は、人のために考えてやり、相談にものる。だが、そのばあいわたしは、本当にまごころをつくして、それをしているだろうか。まことにおいて欠けるところはなかっただろうか。という意味である。(中国古典名言辞典 講談社)

「偽」という字を「人の為に」そう読んで思いやりを持って、社会や地域に貢献する。
そう考えるとこの「偽」という漢字もよく見えてくる。

今年は、もっと前向きな漢字が選ばれることを望む。
今年の漢字は世相を写す。
今年の漢字は自分を写す。
今年の漢字は自分の感(漢)字。
自分のことと思って日々の行動を改めるべし。
ニックネーム uzak at 15:57| Comment(0) | 人生

2007年10月30日

Thirteen Minds (13徳の心)

3007年、今度は創業300年の心の不正が明らかになった。
心の製造販売をするレッドハッピー社だ。

3007年、科学文明が極限まで発展した今、人間はありとあらゆることをコンピュータと機械に任せてきた。その結果、人間は自分で自分の心をコントロールできなくなってしまっていた。人間が人間として生きていくには、心を定期的に購入し、交換しなければならない。
そこで登場したのが心の製造販売をするレッドハッピー社だ。
大ヒット商品は、18世紀における近代的人間像を象徴する人物でアメリカの政治家であり物理学者でもあるベンジャミンフランクリンの「13徳の心」セットだ。

この13徳は、現代人にとって化石のような考え方の心であるが、時を越えて、若者には新鮮に映ったのであろう。その結果、ここ数十年、世界は良くなった。ニートはなくなり、子どもを標的にした犯罪や親が子の命を子が親の命を奪う事件も皆無になった。世界中で戦争がなくなり、民族間でいがみ合うこともなくなった。とにかく衝撃的な出来事は激減した。さらに、この13徳の心を身につけた人間は次々に偉業を成し遂げていったからだ。

その13徳の心とは次のようなものであった。

1. 節制の心 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
2. 沈黙の心 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
3. 規律の心 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
4. 決断の心 なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
5. 節約の心 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
6. 勤勉の心 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
7. 誠実の心 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出ですこともまた然るべし。
8. 正義の心 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
9. 中庸の心 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
10. 清潔の心 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
11. 平静の心 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
12. 純潔の心 男女の恋愛に耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
13. 謙譲の心 イエスおよびソクラテスに見習うべし。

しかし、平和な世界は長続きしなかった。その原因となったのは、レッドハッピー社の「13徳の心」だ。高品質で新鮮が売りのレッドハッピー社の商品だったが、売れ残った商品を冷凍保存し、それを解凍し、製造日を印刷し直し販売していた。
その結果、新鮮なはずの心は傷み、それを身につけた人間は13徳とは全く逆の心を持った人間になっていった。「13徳の心」ではなく「13悪の心」になってしまった。世の中には悪が蔓延し、世界中の人間がいがみ合い、戦争が起こり、原因不明の疫病が流行した。人々は家に閉じこもり、もとの状態よりもさらに悪い状態になってしまった。

世界心情機構(WMO)はレッドハッピー社から相談を受けていたにも関わらず、精査せず、なぜ悪質な処理を見抜けなかったのか。今となってはもう遅い。みんな自分達のことしか考えていない。「売れるのであれば何でもする。」「消費者も様々な不正を見抜く目もなくなり、そんな不正に対し、憤りも感じなくなっていた。」

夢野大志(ゆめのたいし)と望月愛希(もちづきあき)は裕福ではなかったため、高価な心を買うことはできなかった。しかし、今となっては、心を買えなかったことがむしろ二人にとって良かった。13徳までいかないが一つ二つ天然の人間らしい心を持ち続けていた。
二人はみんなに呼びかけた。「科学文明のおかげで世の中のすべてが便利になった。いや、なりすぎた。便利になったり、楽をすることによって人間は大切なものを失ってしまった。自分を見つめるんだ。そうすれば必ず自分というものが見つかる。これからはそれを大切にして生きていこう。」みんなは「そうだ、そうだ」と2人のとを取り合いこれからの生き方について語り合った。気がつくともう、東の空からは、真っ赤に輝く太陽が昇っていた。人生の夜明けである。(すべてフィクションです)
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2007年09月26日

月のように生きる

2007年9月14日、日本初の大型月探査機がH-IIAロケットによって打ち上げられた。この計画は「SELENE(セレーネ:SELenological and ENgineering Explorer)」と呼ばれ、アポロ計画以来最大規模の本格的な月の探査となる。

月は地球に最も近い宇宙の天体であるが、実は様々なことがわからないままである。
地球と同じ約45億年前にできたことはわかっているようだ。
月はいかにして誕生したのか、説はいくつかある。

1、地球の一部が分裂し、月になった。(親子説)
2、月と地球が同じ時期に同じ場所で原始塵雲が凝縮してできた。(兄弟説)
3、別の宇宙空間から飛来した遊星を地球の引力によって捕らえた。(他人説)
4、天体が地球の中心から外れた所に衝突し、粉砕された天体と地球の破片が凝縮した。(衝突説)

先日(2007年8月28日)も地球の影の中に月がすっぽりと入ってしまう皆既月食があったばかりで、月の神秘に魅せられた人も多いのではないでしょうか。

月は地球のまわりを1公転する間に、1自転する。自転も公転と同じ約28日の周期なので、地球からはいつも同じ面しか見ることができない。

月は公私をしっかりと守り、満ち欠けというドレスアップをしながら地球を回っている。
自らは、光を発することなくじっと黙っている。太陽の女神の光を浴びて、柔らかい光を地球に届ける。太陽光に比べ、柔らかい光は人の心を落ち着かせてくれる。
月は傲慢に主張することなく、謙虚に生きている。

月の謎は少しずつ解明されていくかもしれないが、生みの親より育ての親。一緒に仲良く地球と生きてきた。「生まれや過去のことはいいじゃないか。これからのことを考えよう。」月はあれこれ詮索されたくないと思っているかもしれない。
これからもずっと地球を裏切ることなく、一緒に過ごしていくことになるのだろう。

月のように生きる。これも人の生き方の一つであろう。
ニックネーム uzak at 10:28| Comment(0) | 人生

2007年09月13日

砂時計

ガラスでできた容器に入った砂が上から下に落ちていく。
砂時計である。
スピード化された現代において、サウナとパソコンのカーソルぐらいしか見ることはなくなったように思う。

くびれた中心部は細くなっていて一粒ずつしか落ちない。
無理に落とそうとすれば容器は割れてしまう。

物事を遂行するのに砂時計のようにしてみる。
じっくりと考えながら物事を進めていくのだ。
焦らなくても良い。一粒ずつ確実に進める。
無理に早く進めようとすると負荷がかかり、ミスをしてしまうかもしれない。
マイペースで進めればよい。
途中で止まってしまう砂時計はない。
砂時計は、いつも冷静に落ち着いて事を進めているではないか。
着実に実行する。

急いでやっていい加減になったり、子どもにいつも「早くしなさい」と言っていたり、部下に「まだできないのか」とどなったりしていないだろうか。
もちろん、速いに越したことはないが、冷静沈着に心を落ち着かせて実行してみることも必要である。

人生の砂時計は、どんな砂を入れているかによる。
実行に当たっては、少しずつ小さなことを続けていくことが重要だ。
鍵山秀三郎氏の良く話される「凡事徹底」ということだ。

砂時計のように生きる。
ニックネーム uzak at 11:18| Comment(0) | 人生

2007年08月31日

24と信念

アメリカの連続テレビサスペンスアクションドラマ、24(トゥウェンティフォー)では、複数の事件や出来事がテンポ良く同時進行していく。一見すると無関係に思える出来事が回を重ねるにつれ、一つに繋がっていく。

直木賞を受賞した東野 圭吾さんの作品、『白夜行』、『幻夜』などでも、様々な出来事が最終的に少しずつ絡まり合い、一つにまとまっていく。

お祭りの縁日で売られているわたあめもふわっとした綿状のあめが一つの割り箸にうまい具合にからまり、ひとつの大きな球体のわたあめになる。

点と点がつながり、線になる。

人生も同様、自分の周りに様々な出来事や問題が起こる。これらの出来事は成功したこと、失敗したこと、楽しいこと、辛いことすべて自分に関係することなのだ。それが信念という一つの柱をもとに自分の人生としてまとまっていく。
この信念を持っているかが人の魅力になる。
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2007年08月20日

人生のペットボトルロケット

ペットボトルロケットが大空に飛んだ。
今回初めて、ロケットを作成した。簡単だろうと思ったら、なかなか奥が深く、おもしろい。実験用のものを作成し、本当に飛ぶのか実験を重ねた。最初、30メートルほどのものが50メートルと距離を伸ばし、最後は90メートル近く飛んだ。
大会では、子どもたちは初めて作成したにもかかわらず、私たち以上の記録が続々と出た。我々の記録は簡単に塗り替えられてしまった。

燃料は、水と空気という根源的なものである。とにかくどこにでもある材料と燃料でいいというところがとてもよい。作成する中で尾翼のバランスが大切であることがわかった。
また、水をいっぱい入れれば飛距離が伸びるのではなく、むしろ逆で水はどちらかというと少なめの方がよく飛ぶようだ。何回か飛ばすうちにどのくらいの水の量がよいかを実感してもらうのも今回の狙いだった。

ペットボトルを人にたとえれば、身体の全体はトータルでバランスがとれていることが大切である。中身である心は、誰もが手に入れられるもので満たされている。そして、ペットボトルが透明なように、心は周りに対し隠すことはなく、澄んでいることだ。どんな水を入れるかが重要になってくる。肯定的ものを選ぶか、否定的なものを選ぶかは自由だ。
同じ自由なら、肯定的な水と素直な空気を入れた方がよい。
欲をかいて、水を入れすぎたり、空気を入れるのを怠るとうまく飛んでくれない。

人生のペットボトルロケットは夢と希望を乗せて天空に舞い上がる。
未来へ向けて。
ニックネーム uzak at 19:17| Comment(0) | 人生

2007年07月20日

それでも汽車は走り続ける。

まっくらのトンネルに入ったようだ。
この汽車の運行を任せる運転手や乗務員を乗客みんなで選ぶことになっていて、運転手希望のものがチラシのようなものを乗客に配り説明している。
現在の運転手のジミーくんは、また選ばれると思っているのか、余裕の表情でいるが相次ぐ不祥事で乗客はどう判断するかわからない。チラシには約束は具体的なことは何ひとつ書かれていない。あるのは、この汽車を「美しい国」に向かうのだということだ。美しい国とはどこなのか、いつ着くのかはわからない。
副運転手のミーシュくんは乗客の生活が第一と言っている。ジミーくんに次ぐ信頼を持っていて、チラシにはとても良いことが書いてあるがどこまで実現できるのかは不明だ。
シャーミンさんは乗客の安全と保証を一番強調している。
キョーサくんは乗客の環境と安全を常に語っている。
コウミョウくんはジミーくんと仲がいいのでいつも一緒に行動している。コウミョウくんは運転手ではないのにおいしい汁を吸っているようだ。チラシには汽車の行き先に責任を持つと書いてあるが責任はジミーくんがいつもとっているように思える。
コクムくんは最近乗り込んできた。「汽車を変える。夢と希望を持てる運行作り。」と掲げる。果たしてどこまでできるのかは不明だ。
シントーニくんは、かつて小さな列車の運転手をしたことがあるが様々なことがあり、交代してしまった。そして最近コクムくんと同時期にこの汽車に乗り込んできた。「自分には答えがある」とチラシに書いてあるが何が答えなのかわからない。

乗客は、この中から、運転手を選ばなければならない。自分たちの乗っている汽車の行き先を決める重要課題だ。
現状維持派の人は、ジミーくんを引き続き選ぼうとする。改革派はどこに行くかわからないジミーくんに運転を任すわけにはいかない。他の人を選ぶという。現状維持派と改革派の言い合いが続き今にも殴り合いのけんかが起きそうになっていた。
乗客の半分の人たちは、この件に対して無関心だったが居眠りをしていた青年が急に立ち上がり、口を開いた。
「おまえらうるさいぞ。俺は、この汽車がどこに行こうがどうでもいいと思っていた。でも、それじゃあいけないと気づいたよ。誰を選んだらいいかわからないけれどこうして、自分たちで議論して、話し合うことこそ大切なことなんだと思う。俺たちは運転手を選ぶのではなく、自分自身の心を選ぶってことなんじゃないのか。この絵を見てくれ。」
そう言って、指さしたのは、「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」というタイトルの絵画でフランスのポスト印象派の画家ポール・ゴーギャンが描いた絵だ。
その絵はパラダイスなのか、それとも現実ではなく夢なのか。それが美しい国なのか。自分たちの心なのか。

この汽車はどこへ行くのか。乗客の誰もわからない。
それでも汽車は走り続ける。

気持ちよくトンネルを抜けたいものだ。
ニックネーム uzak at 13:58| Comment(0) | 人生

2007年06月25日

偽りの豚

ある日、とかきちくんは希望農場を訪れた。
ジャガイモ畑でたくさんの牛が遊んでいる。
よく見ると何かおかしい。
牛の中に牛の格好をした豚が混ざっている。
とかきちくんはどうしてこんなところにいるのか豚に聞いてみると
「むりやり連れてこられたんだよ。ここでおとなしく牛の格好をしていろって言われたんだ。最初、豚は少なかったけれど、だんだん増えて今では牛より豚の方が多いくらいだよ。最近では鶏もたくさん来ているよ。」
「君は牛になりたかったのかい。」
とかきちくんは豚に聞いた。
「最初は豚の自分に劣等感を抱き、牛にあこがれていたから、牛になれるのがうれしかったけれど、偽って牛の格好をしていてもいいことなかったよ。自分が自分でないみたいなんだ。僕は気がついたんだ。豚は豚として誇りを持って生きるべきだと。僕たちはすばらしい豚なんだ。牛にだって負けないいいところがたくさんあるってね。だから、僕はもう牛の格好なんかしないよって、言ったんだよ。」
「もうこの農場は閉鎖されるんだって。これから、僕たちは堂々と自信を持って豚として生きていくよ。それが一番幸せなんだよ。」

とかきちくんと豚の目の前には真っ赤に染まった夕日が広がっていた。
ニックネーム uzak at 11:18| Comment(0) | 人生

2007年06月15日

パズル

知恵の輪を解こうとして抜けないからいらいらして、くしゃくしゃと輪を動かすといつの間にか抜けているということがある。それは偶然抜けたのであって本来の解決にはなっていない。もちろん、元に戻すことも出来ないのである。
立体パズルを解くには、想像力が必要だ。
解けたときのイメージを浮かべる。こういう動きをするとか、ここにこの部品がこう入るとかいうふうに最後のできあがりのイメージを浮かべるとすっとその通りにできあがる。
うまく想像できないものは、なかなかできない。

人生においても、なりたい自分を強くイメージできるかどうかで実現できるかが決まるように思う。目標のイメージを持つとその目標への道筋が見えてくる。何をどの時期にすればよいかがわかってくる。それに従って行動すれば、立体パズルが完成するように目標を達成することが出来る。

パズルの英語での形容詞形は puzzled で、頭を悩ませた、(表情などが)困惑した, 不可解なという意味を持つ。しかし、実際の立体パズルは必ず正解があるのである。一見不可能にみえるものが解けてしまうのである。正解までの道のりは長い。いろいろ試行錯誤して大変であるが、そうやって苦労して解けるからこそパズルは楽しいのである。
人生も、苦労して試行錯誤して、歩んでいくことこそ楽しいのである。
ニックネーム uzak at 10:50| Comment(0) | 人生

2007年05月21日

見えてる世界と見えない世界

「博士の愛した数式 小川洋子著」の中で、子どもが怪我し、病院で心配そうに待つ母親に、「落ち着くから直線を書いてごらん」といって紙に直線を書く場面がある。書いた線は直線ではなく、始めと終わりがある線つまり線分である。数学で言う直線というのは「太さを持たず、どこまでもまっすぐ無限に伸びて端点を持たない」。紙にも制限があるし、無限に続く紙が存在したとしても何処までも書いていく体力がない。また、どんなに鉛筆を尖らせて書いても太さが存在するので太さのない線なんて書けない。
従って、普段私達が書いている線は、本当の直線ではないのだ。本当の直線は欠けないから代用しているに過ぎない。本当の直線は目に見えないのだから。しかし、それを心で私達は感じて見ているのだ。

世の中は、見えている世界がすべてではない。見えない世界と見えている世界が共存しているのだ。
自分の身体も見えないことばかりじゃないか。思うこと、考えること、みんな見えない。
すべては心が決める。人生は心が決める。

ここに「オイラーの等式」と呼ばれる式がある。
eiπ + 1 = 0
e = 2.71828 18284 59045 23536 02874 71352 …
eは自然対数の底でネイピア数と呼ばれる。
π = 3.14159 26535 89793 23846 26433 83279 50288 …
πは円周率である。
iは虚数(imaginary number)の頭文字を使い−1の平方根。

「全く起源の異なる重要な定数eとπが出逢い、愛(i)を育み、調和し、数学での根源的な1と結びついて0(空)になる。」
どうして、無秩序に見える無限に続く無理数の二つが融合して、実にシンプルな式として成立してしまう。これが果たして偶然と言えるのだろうか。
もちろん、人が生きていく上でほとんどの人がこの式を知らなくても幸せに暮らせるのだが。奇跡的な数学美である。この式に人の真理が表現されているようにも見える。

見えてる世界は見えない世界によって、支えられている。
見えない世界は、見える世界があって存在しうる。
ニックネーム uzak at 11:49| Comment(0) | 人生

2007年03月26日

自分に勝つ

フィギュアスケート世界選手権で金メダルを取った安藤美姫選手は自分にまず勝つ。それから他のライバルを考える。そう語った。自分の前に演技した朝田真央選手の自己ベスト更新の状況に動揺やプレッシャーを感じないで自分自身の演技に集中することはなかなかできることではない。
トリノオリンピックで、荒川静香選手も自分心に勝ち、そして自分自身のスケートをすることで金メダルを取得した。

人生において、周りばかりを気にして結局うまくいかないケースが多々ある。
自分に勝つことが重要であり、自分自身を表現することが成功につながる。

自分の敵は誰ですか?
相手や周りの人ではない。
自分の敵は自分自信である。
だから自分に勝つ。
ニックネーム uzak at 02:46| Comment(0) | 人生

2007年03月25日

朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり

「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(論語)
もしも朝、真実の人の道を聞き、これを体得しえたならば、その夕方に死んでも、それで悔いはないという意味である。

人の道とは何か、なぜ生きるのか、自分の天命は何か、これらを考えることがまず必要だ。
人の道を学び、実践できまでにならねばならない。
私たちは何となく、無目的にただ時間の過ぎるままに生きてないだろうか。
一日一日をベストを尽くす、悔いのないように生きること、そういう心構えこそ必要だ。
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2007年03月15日

盥(たらい)の水

盥に水が張ってある。そこに花びらが浮かんでいるとする。
その花びらを取ろうと水を手前に引き寄せようとすると、一時こちらにきたと思っても花びらはすーっと逃げていってしまう。逆に水を向こう側に押し出してやると、一時水は相手の方にいくが自然に花びらは手前にくる。

人生もこの盥の水と一緒で、自分だけが利益を得ようと欲を出すと結局目標の物を手に入れることはできない。逆に相手のことを考え、相手にとって利のあることをしてあげると最終的に自分に利が回ってくる。
周りの人が幸せになることを考え、実行していけば、それによって喜んでいる姿を見て自分が幸せになれる。

「与えれば、与えられる」
「固持すれば、奪われる」
世の中はそういう法則に則って動いている。
人も企業も、こういう心をもった社会になるべきだ。
ニックネーム uzak at 09:48| Comment(0) | 人生

2007年03月14日

今の1時間も入試直前の1時間も、同じ1時間である

テスト前になって、もっと時間があったらなあ、といつも嘆いているあなた。
ほとんどの受験生が入試直前になると「時間がない」「時間が欲しい」という。
しかし、1年も前には、勉強せず、テレビを見たり、ゲームをしたり、漫画を読んだり、友達とのメールやおしゃべりに時間を使ってきている。
そのときには、事の重大さに気づいていないのである。
時間は、すべての人に平等に流れている。したがってテスト直前、自分だけ時間をゆっくりにすることはできないのである。

たとえば、今日、1時間無駄に時間を過ごしたとしよう。確かに今日1日のことであれば何も問題は起きない。しかし、これが毎日1時間無駄にしているとすると、1年で365時間無駄にすることになる。
人生は時間でできている。したがって、1年で365時間の人生を捨てているのと一緒だ。1年で約15日間寿命が縮まったのと同じことになる。10年続けていたら半年近くも寿命が縮まったことと同じだ。

勉強も人生も1分1秒でも無駄にしてはいけない。
一日一日、ベストを尽くして生きていくべきであろう。
ニックネーム uzak at 11:38| Comment(0) | 人生

2007年03月14日

大木にはつまずかない  つまずくのは蔓草や木の根だ

人が失敗するとき、それは大きな事で失敗するよりもほんの些細な小さいことが原因で失敗することが多い。
人は20センチもあるような大きな段差にはつまずかない。2、3センチの小さな段差につまずくのだ。
電車は、レールに置かれた小さな小石でも脱線してしまう。
人間関係も、些細な一言が原因でしっくりいかなくなる。
企業も人も小さな事で倒れてしまう場合が多い。
社会という大きなジャングルに入ったとき、大木につまずくことはない。
全体ばかり、あるいは先ばかり見ていることによって足下を見ていない。
そこで、蔓草や小さな木の根っこに足を引っかけて転んでしまう。
つまずくのは大きな木ではなく、背の低い蔓草や小さな木の根っこなのだ。

勿論、大きなことや全体を考えたり、先を見据えることは重要なことだが、そうであればこそ、小さなことに気を配る必要があるだろう。
細部に気配りできるかで、その人や企業の器量が決まる。
ニックネーム uzak at 11:04| Comment(1) | 人生

2007年01月30日

捏造から学ぶ

食品をテーマにしたテレビ番組でのデータのすり替え等様々な捏造が発覚し、とうとう番組打ち切りの自体になった。
視聴率ばかりを追い、下請け会社に番組制作を丸投げしている体質自体を変えなければならないのかも知れない。

ニュースの映像も真実ではない。確かに報道番組の映像は事実の一部ではある。しかし、事実のすべてではない。カメラマンが意図的に事実をねじ曲げ、重要な部分を撮さず、一部分だけを撮ったとしたら、その映像は180度違ったものにもなるであろう。
映像による説得力は大きい。だからこそ、報道に携わる人は事実がねじ曲がらないように細心の注意をする必要がある。

世の中の情報というのは、正しい情報と誤った情報がどちらか判らないくらいあふれかえっている。その大量の情報の中で人はどれが正しくて、どれが誤っているのか判断し、選択しなければならない。その判断をできる力をつける必要があるのだ。それを子ども達に伝えている。

視聴者側に立つ人も、しっかりとそういう正誤の判断をしなければならない。
番組の次の日のスーパーからその商品がなくなるというのは異常であろう。
これを機に、各人がしっかりとした判断力を身につけることに力を注ぐべきであろう。
ニックネーム uzak at 03:09| Comment(0) | 人生

2007年01月03日

除夜の鐘と108

除夜の鐘は108回撞かれる。
人間には108の煩悩があり、それを払うために鐘を撞くと言われる。
この回数には、諸説がある。

1. 眼(げん)・耳(に)・鼻(に)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪・(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。
2. 月の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数が108となり、1年間を表す。
3. 四苦八苦を取り払うということで、4×9+8×9=108をかけたとも言われている。
他にも108という数字に関係することは様々なものがある。

野球のボールの縫い目も108あるが、この108という数字は様々な性質がある。
108 は合成数であり、約数は1,2,3,4,6,9,12,18,27,36,54と108である。
108 = 11・22・33
テトラナッチ数列の9番目の数。テトラナッチ数列とは「前の4項の和」で
1, 1, 2, 4, 8, 15, 29, 56, 108, 208, 401, 773, 1490, ...
108は8, 15, 29, 56, の和である。
正五角形の一つの内角。
原子番号 108 の元素はハッシウム(Hs)である。
銀の原子量は約108である。
数珠の玉の数は108。

『南総里見八犬伝』に登場する8つの霊玉(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌)は、伏姫の持っていた水晶の数珠のうち8つの大玉が飛び散った物で、残りの100個の小玉は連ねられ、丶大法師(ちゅだいほうし)が所持する数珠となっている。
中国の小説『水滸伝』では百八の魂が飛び散りそれぞれ豪傑英雄として各地に現われる。
(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

仏教で言う煩悩の数が108であるのを基に様々なものがあるようだが、108という数字に親近感を感じるようになった。
ニックネーム uzak at 05:08| Comment(0) | 人生

2006年12月27日

今年の漢字「命」

財団法人日本漢字能力検定協会が全国公募した今年(2006年)の世相漢字は「命」に決定した。

その主な理由は以下の通りである。
1.親王「悠仁さま」ご誕生
 秋篠宮紀子さまが約40年ぶりに親王「悠仁さま」をご出産。日本中が祝福ムードに包まれた。 
2.自殺の多発
 いじめによる子供の自殺をはじめ、生活苦による高齢者の自殺など自殺のニュースが相次ぐ中、履修問題の責任をとって校長も自殺したことが理由の大半を占めた。
3.痛ましい事故・事件の多発
 飲酒運転による交通事故死、虐待による殺人事件、竜巻など自然災害による突然の死、そして、ペットの大量処分などに心を痛めたという意見も多く見受けらた。
4.命に不安を覚える出来事の多発
 北朝鮮で核実験が行われたことや、医療制度改革による高齢者の医療費負担の増大、臓器移植問題、医師不足など、命に不安を覚える出来事が数多く挙げられた。
第2位以下の漢字は順に、悠、生、核、子、殺、球、心、新、絆と続く。
(財団法人日本漢字能力検定協会)

痛ましい事件等が多く、本当に「命とは何か」を考えさせる一年になった。そのなかでも親王「悠仁さま」ご誕生の話題は数少ない明るい話題として救われる。
第2位以下の漢字を見ても同様の思いが感じられる。
いじめにより自らの命を絶つひとがいれば、自分の命と真剣に闘っているひとがいる。

今こそ、国民一人ひとりが「なぜ、生きるのか」ということを考えなければならないのではないか。その上にどうしていけばいいのかという具体的な方向性が出てくるだろう。
国をよくしていく鍵は、教育と家庭にあるのではないかと思う。

生きているということは辛いことがある。これは事実だ。物事を前向きに考え、どう自分に折り合いをつけていくのか。真っ正面から「命」について向き合おう。

ひとは、生きているのではない。
生かされているのだ。

こう考えられたとき、未来は変わっていくだろう。
ニックネーム uzak at 17:57| Comment(0) | 人生

2006年11月24日

蟹は甲羅に似せて穴を掘る

昔の諺に「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というのがある。カニは穴を掘るとき自分の甲羅のサイズに合わせて穴を掘ってもぐり込む。転じて自分にあった分相応な暮らしをしろという人に対する戒めである。

人は、プライドや見栄のために背伸びをすると決していい結果を生まない。さらにそのためにちょっとした嘘をついたなら、嘘をついたことにより新たな嘘が必要になり収拾がつかなくなる。精神的にも影響を及ぼし、それが原因で体調を壊すことさえある。
もちろん成長するには多少の背伸びは必要であるが過剰な背伸びは悪影響のほうが大きい。私は常に自然体でいることが重要であると考える。自分の器の大きさを考慮した上で言動を起こす。自分の器とあまりにもかけ離れたものはすぐに見透かされてしまうだろう。

だからといって消極的になれと言うことではない。カニは成長と共に甲羅も大きくなる。それによって穴も大きくなる。大人になると身体の成長は止まるが心の成長は限りはない。自分の器を大きくする努力は日々しなければならない。成功する人はその心が常に積極的なのである。
ニックネーム uzak at 12:24| Comment(0) | 人生

2006年11月13日

人生の再履修

高等学校の履修漏れが問題になっているが、人間はどうだろうか。
人にとって、履修しなければならないものはたくさんある。
生まれてから、まず基本的な生きる力を身につけなければならない。
すなわち呼吸すること、母乳を飲むこと、食べること、排泄すること、はいはい、二足歩行、睡眠を取ること、言葉を理解すること、言葉を覚えること、会話することなど様々な項目がある。
ほとんどが人としての必修科目であり、ほとんどの大人は優秀な成績で履修してきたはずだ。
さらに、社会性を身につけ、人としての徳を身につけていかなければならない。
そして、学校に行くようになれば、様々な教科の教養を身につけていく。
このころからだんだんと、わからないものや面倒なものは後回しにしたり、いい加減になったりしてくる。
履修されずにそのままになってしまうものも多いのではないだろうか。

人が社会性を完全に身につけるにはおよそ生後二五年かかるそうだ。
近年、親と子をめぐる事件が相次いで起こっていることを考えると、「心に関係する科目」を履修することなく大きくなってしまっているのではないだろうか。
思いやりや感情の制御など様々な「心の科目」が家庭や地域、学校、社会にもっと多くあっても良いのではないだろうか。

現在の日本では、核家族化が進み、おじいちゃんおばあちゃんからの子育てに関することを身につけないで子どもを育てている人が多いのではないだろうか。
「親になるということ」、「育児とは」「子どもとどう接するか」「子どもに何を伝えるのか」など本当は履修しなければならない科目は多い。
子ども達も「夢を持とう」「楽しく生きる」「なぜ生きる」「いじめについて」「感謝すること」など学ぶべき科目はたくさんある。

効率や便利さを追求するあまり、人として学ばなければならない科目を、違う科目に振り替えてきていないだろうか。
これらの科目は適切な時期があるが、今からでも良い、このような科目をもう一度履修できるようにしていきたいものだ。

振り返れば、自分も「人生の履修漏れ」を検証し、こつこつ再履修していきたい。
ニックネーム uzak at 11:53| Comment(0) | 人生

2006年10月17日

肝心要

「腰が痛い。」先日、腰に激痛が走った。
これはいわゆるぎっくり腰かなと思い、整形外科で見てもらうと、椎間板のところで神経を圧迫して痛むようだ。
本当にちょっとのことで人というのは、動けなくなってしまう。なにくそと思ってみても体が動かない。立っていても座っていても痛みは治まらない。人の体にとって、腰は重要なんだということを思い知らされる。

肝心要の肝心とは大切なことであり、さらに肝心要となると特に大切なこと。
肝腎要とも書き、人の体にとって大切な所を意味している。
肝臓と腎臓そして要は腰である。
身体的に重要なのは腰である。立っても座っても体の中で重要な部位である。

人の体にとって重要なのは、腰だが
手や足、耳、口、心臓、呼吸器、消化器など、他にもどれ一つ欠けても人の体は成立しない。
人はいろいろなものに支えられて生きているとつくづく思う。
寝ている間さえ、心臓や臓器は働き続ける。
自分の体であっても止めることなどできやしない。
自分の意志だけでどうにもならないものがあるではないか。
自分というものが自分の体の各部位によって支えられている。
こうなると感謝せずにはいられない。

人は一人では生きていけない。
食事を考えてみると、お米や野菜は農家の人が作っているし、魚は漁師が獲っている。
数々の電気製品や洋服、鉛筆、消しゴムなど身の回りのものを考えただけでも自分で作ったものなど一つもない。電気や水道、などもすべて誰かが働いていることによって自分が利用できる。

人はどんなに自給自足をしていようとも、誰かが働いていることによって生かしていただいている。
人は大勢の見えない人々のおかげで生きていけるのだ。
「おかげさん」「おかげさまで」という言葉の本質だ。
そこにはすべてもものに感謝の念が生じる。
だから、人は生かされているのだということを実感すべきだ。

痛い腰をさすりながら、感謝、感謝。
おかげさん、おかげさん。
ニックネーム uzak at 01:36| Comment(0) | 人生

2006年10月01日

飲酒運転

千葉県成田市での飲酒運転による事故の訴訟で千葉地裁は介護費用など3億円の高額賠償を命じた。さらに、九州自動車道での酒気帯び運転絡みの多重衝突事故の訴訟で福岡地裁は、介護費用など3億円以上を2人に命じた。飲酒運転による交通事故は絶えない。

酒は、本来祝いの席など人を喜ばせる時のものである。また、車は便利で手軽な移動手段であり、都心部を除いて、今の現代人にとって車無しの生活は無理であろう。しかし、その文明の利器と酒が一緒になると車は殺人機となってしまうのである。

酒を飲まなくても「ハンドルを握ると人格が変わる」人がいる。車に乗り、ハンドルを握った瞬間、荒々しい運転になり性格も言葉も豹変するようだ。
自分は豹変するタイプではないが一時期テプラで「平常心」と書いたシールを座席のサンバイザーに貼っていたことがある。車に乗るとちょうど見える位置にあり、必ず「平常心」で安全運転をしなければと思う。それ以来、急に割り込みをされたり、追い越されたりしても怒ることはなくなった。これは非常に効果があるので是非おすすめしたい。

事故を起こしてしまう人はどんな人だろうか。酒を飲んでちょっとだけならいいとか、時間がたったからいいとか安易に自己判断をし、事故など自分は起こさないと思っている。それは酒の力を借りた勝手な過信でしかない。確かに事故が起こるのは何万分の一の確率かもしれない。それでも、数学的にいっても確実に事故は起こるのである。

車はどんなにかっこよくても、可愛い形をしていても「動く凶器」なのである。もっともっとドライバーはこの「動く凶器」に乗るという認識を持たなければいけない。自分自身の勝手な甘い考え方が自分の家族や相手の家族を不幸にしてしまう。これは自分が加害者にも被害者にもなりうることを心に深く刻んでおかなければならない。ましてやこれから未来のある子ども達が犠牲になることは決して許せないことである。

国や企業ももっともっと積極的にこの問題の解決に向け、進めてほしいものだ。そうはいっても車を運転する人一人ひとりがこの問題を意識し、自覚を持つことが必要である。
ニックネーム uzak at 12:30| Comment(0) | 人生

2006年09月10日

花火

先日、某新聞社主催の花火大会を見に行った。
夏の夜空を華々しく彩った花火に大勢の観客が感嘆の声を発した。

花火職人、野村陽一氏によると花火は、火薬の配合や配置の違いで、様々な色や形が出来る。仕込みの出来具合によって、打ち上げられたときの美しさが大きく異なるという。
火薬の仕込みをするときの心の状態が花火の仕上がりに影響するのであろう。少しでも気がかりになることがあったら火薬の仕込みを初めからやり直す。納得がいくまでやり直すという。

一発の花火を仕込むのに6ヶ月も準備した花火が夜空に5秒で消える。時には1年も準備することもあるそうだ。
本当に花火とは美しいが寂しいものである。
野村氏は0からスタートし、19年かかり、やっとまともな花火が出来たそうだ。
自分が満足できる花火は、今までに1回しかなかったそうだ。

準備をし、望んだ結果がすぐについてくるものではない。
花火は準備に準備を重ね、耐え続け、一気に結果を出す。
人生は花火に似ている。花火は潔い。

人は一生、人生という花火を準備しているのかも知れない。
一度は、人生の花火を打ち上げたいものだ。
ニックネーム uzak at 03:30| Comment(0) | 人生

2006年08月20日

水のごとく生きる

生命細胞の約70〜80%は水である。
地球の表面積の約70%が海である。
この数値が単なる偶然とは思えない。
高い山からわき出る清水。それが流れて、川となり、いくつかの河川が合流し、最終的には海に流れ込む。その後、海面から水蒸気として大気中に上昇し、雨として地上に降り注ぐ。こうして、水の循環が地球レベルで行われている。
まさに生命の循環である。

生命の誕生は海水であると言われる。
人も母親のおなかの中で羊水に浮かんで育つ。
銀河系宇宙の星の中で、唯一、水が存在する惑星が地球である。
水は生命の源。
水は生命の母。
水こそ生命の本質である。

水は3つの状態に変化する。
摂氏0℃以下になると固体(氷)として存在する。
普段は、へらへらしていても固い信念を持つこと。
摂氏100℃以上になると気体(水蒸気)として存在する。
全体を包み込み、周りに優しくすること。
そして、水は通常、液体として存在する。
どんなものにも対応で順応性を持つ。

「水は方円の器に随(したが)う」という。
水というのは、丸い器に入れれば丸く、四角い器に入れれば四角くなる。
人も環境や状態によって様々に変化しても、それらに柔軟に順応することが出来る。
自分を主張することもなく、しかし、信念を持って生きる。

「上善は水の若し」(老子)という。
最上の善は、水のようなものである。
水は万物に利沢を与えている。天地の間に水なくしては存在できない。それほど大きな存在でありながら、水は他のものと争うことはない。
人間は少しでも高い位置を望むが、水はその反対に低い所低い所へと流れていく。
低いところにいるから自分が大きくなる。谷川は流れて大河になり、さらに流れて海となり、大きな存在となる。
水は謙虚である。決して傲りもない。

水は、大きな岩を優しく包むことも出来るし、水流により、流すことも出来る。
一滴の水が何十年もかければ固い岩をも貫通する穴を開けることが出来る。
小さなことも継続すれば、すごい力を持つことになる。

水は普段、控えめに静かにしているが、外部からの力が加わると波となり、水流となり大きな力を発揮する。水は流体であるが故の大きな内部エネルギーを持っている。
「静」と「動」を持つ水。

人は、水がなければ生きていけない。
人は水によって生命の恩恵にあずかっている。
しかし、その水を一番汚しているのは人である。
まるでその報復であるかのように、洪水や津波などによって、人の命が絶たれている。

私たちは、水に学び、水を大切にし、水のごとく生きていくべきであろう。
ニックネーム uzak at 02:59| Comment(0) | 人生

2006年03月12日

人間の品格・国家の品格

私が車でお店に行ったとき、身体障害者専用駐車場には止めないと決めている。
しかし最近、健常者が平気な顔をして止めているのをよく見かける。

身体障害者専用駐車場は出来るだけ楽なように入り口の近くに設置されている。
障害者の利用者は非常に少ないから開いている場合も多い。
少しでも入り口に近いところに車を止めたいという気持ちは分からないでもないがそれでは自分のことしか考えていない自分勝手というものだ。
障害者の方に少しでも負担がないようにとの店側の誠意も一部の自分勝手な行動をする人によって不愉快な思いをさせているのは納得がいかない。
法律では、障害者専用駐車場の設置は義務ずけているがそれらの運用や違反したときの罰則などはないらしい。

人の良心を前提に作られたものが、無神経な一部のひとによって壊されている。
人を信用しないで、人を疑う前提で作られる懐疑社会は、決して素晴らしい社会とは言えない。

バスや電車の優先席や携帯電話の問題も同じような状態だ。
「自分一人くらいならいいか。」という自分勝手な考えが、信頼社会を大きく壊していることになる。日本人のモラルの低下を象徴している。
かつて日本は、人徳を持っているひとが大半の社会だった。
いつから日本人は、そういう民族になってしまったのか?

今こそ、一人ひとりがしっかりと考えて行動する社会にしなければならない。
それは一人ひとりの人間の品格であると同時に国家の品格でもあるのだ。
もっともっと一人ひとりが真剣に考えなければらないことなのだ。

懐疑社会からもう一度かつての日本のように信頼社会へと変えていくべきではないだろうか。
個人、企業、家庭、学校、地域社会、そして国家もそれぞれが「信」を心がけるならば日本は素晴らしい国になるでしょう。
ニックネーム uzak at 11:21| Comment(1) | 人生

2006年01月15日

人生ゲーム

1〜10までのルーレットを回し、車の形の駒を進める。
マッチ棒形の人をイメージしたピンをその車に乗せる。
最初は一人であるが結婚をして、彼女を乗せ、子どもが生まれピンを乗せていく。
子どもの時にやった懐かしい人生ゲームだ。

テレビゲームが主流だがボードゲームの定番でこの人生ゲームは今でも人気がある。
様々なタイプが発売されているが、最近は時代を反映したホリエモン監修の「M&A」なんていうのが人気らしい。

このゲームでは現在の日本のように少子化を悩む必要はない。
ゴール直前に子どもをお金に換算するので子どもは多ければ多いほどいいからだ。
(この設定は子どもながらすごいと思った。)

ゲームは最後に人生最後の賭をすることができる。
全財産を賭ける。
当たれば、億万長者。(十分の一の確率だ)
はずせば、貧乏農場。(いつしか哲学の森と変わったようだ)

ゲームは人生に似ている。
成功と失敗を繰り返しながら駒を進めていく。
いや、人生がゲームに似ているのかも知れない。

われわれは人生という「人生ゲーム」の盤の上を駒を進めていく。
人生を遊んでいるのか。人生に遊ばれているのか。
上がりのない人生ゲーム。
同じゲームなら楽しみましょうか。
ニックネーム uzak at 03:01| Comment(0) | 人生

2006年01月02日

人生の積み木

タワーやビルディング、お城。
木でできた積み木を積んでいく。
どんなに高く積んでも複雑な構造計算などする必要はない。
しかし、せっかく積み上げて、あともう少しというところで崩れてしまう積み木。
どんな人間が積み上げても崩れるときには崩れてしまう。

なんとなく残念ではかない感じがするが、崩れてしまうからいいと言うこともできる。
失敗しても、またやり直しがきく。
同じやり直しがきく、「テレビゲームのリセット」と「積み木のやり直し」は趣が違うように思う。
やはり、積み木の持つ木の香りを感じながら、自分のペースで自由な想像力でやり直すことができる。
「スロー・トイ」と言っても良い。
二度と同じ形に積むことはできない。
そして、常に完成することがない。
こういう性質を持っている積み木は人生のようだ。

人は完成だけを目指しているが、決して完成することなどない。
どんな人生にも正解もない。逆に、どんな人生も正解である。
人生は常に未完成である。
未完成であるが故に美しいのである。

アントニー・ガウディ設計のスペインにあるサグラダ・ファミリア教会を思い出す。
この建物は着工後100年以上もたった今、未だに完成していない。
完成していないのに風化して修復しているほどだ。
この建物も完成が目的ではなく、世代を超えて、作り続けること自体に意味があることなのではないかと思う。
人は目標に向かって努力することが大切であり、その時が一番輝いているのである。

終わりなき、「人生の積み木」を積み続ける。
ひとつひとつ、どこまでも高く。自分流に。
ニックネーム uzak at 11:56| Comment(0) | 人生

2005年11月25日

人生の棚卸し

「棚卸し」とは、スーパーマーケットなどで月末、商品の在庫状況を調べ、今月の状態を理解し、今後の仕入れや経営に活かそうとするものである。

人も同じように自分自身の棚卸しをしなければならない。
自分に眠っている潜在能力は何があるのか?
今月はどうだったか
人に優しくしたことは?
人に助けられたことは?
人にいやな思いをさせてしまっていないか?
将来に向けた目標への行動をしたのか?
・・・

自分自身を振り返り、今後の人生に活かしていかねばならない。
それは「人生の棚卸し」と言えよう。
自分自身を振り返る「内省」とも言えよう。

自分の持っている商品は何か?
他の人に役に立つことは何か?
何も見あたらなくても「笑顔」という素晴らしい商品をみんな持っていますよ。
その「笑顔」は新鮮ですか?
落ち込んだりして、腐ってませんか?

未来のために月に一度は自分の棚卸しをしてみませんか?
ニックネーム uzak at 00:41| Comment(0) | 人生

2005年11月22日

高橋尚子 人生の花を再び咲かせる

「陸上をやめようかとも思ったこともありました。でも、一度夢をあきらめかけた私が結果を出すことで、今、暗闇にいる人や苦労している人に、『夢を持てば、また必ず光が見えるんだ』ということを伝えたい、私はそのメッセンジャーになるんだと、走りながら自分に言い聞かせていました。」
東京国際女子マラソンで復活優勝した高橋尚子選手の優勝インタビューでの言葉である。

彼女は足が筋膜炎になっており、ドクターストップにもなっていた。痛みをこらえ、医師やスタッフに理解してもらい出場した。
通常の人間では考えられないことである。
万が一の場合選手生命を絶たれる危険性もあった。
その危険を冒してまで彼女を走らせたものは何だったのか?
「夢をみんなに与えたい」「自分を支えてくれた人に恩返しがしたい」という事はもちろんだが一番は「自分自身への挑戦」だったのではないか?
いや、次元を超越した存在の力によって、彼女は動かされていたのではないか?
様々な悔しい思いと希望のすべてがレース当日に集中した。
勝敗の順位はどうでも良かったのかもしれない。
無心に走ることが出来る、そこに意味があったのではないだろうか。
まさに奇跡としか言いようがない。
足に激痛が走っていたはずだが、むしろその激痛が彼女を勇気づける源になったのではないか。
「精神力」というものが目に見えるものとして存在するなら、彼女の精神力を決して誰もへし折ることは出来なかったであろう。
まるで彼女は宇宙人だ。

レース当日の朝、メンバーからの激励の手紙がホテルのドアの下に差し込まれていた。
西村孔トレーナーのものには「一緒にやれたことを誇りに思います。明日は楽しんで走ってください」と書かれていた。
彼女は「うれしくて涙が出た」。

すべてを受け入れ、理解をしてくれた仲間の思いが彼女を走らせたのだろう。
彼女は人生の中で今回の走りが一番幸福だったのではないかと思う。

もう一つ驚いたのは、彼女はレースの次の日も走っていた。
彼女は走ることが世界一好きな人なのだ。

彼女は人生の花を再び咲かせたのだ。
ニックネーム uzak at 11:13| Comment(2) | 人生

2005年11月14日

出逢いと縁

人は人によって磨かれる。
人は3人の人によって磨かれる。
1人目は親。2人目は人生の師。3人目は自分自身。
いづれも出逢いによって、感動し、自分を見つけることができる。
人の出逢いの数は、生まれてから皆決まっていると言われる。
親との出逢いから一生が始まり、友達や先生、様々な人との出逢いの中で磨かれていく。
自分に必要な人物が不思議なことに自分の目の前に現れる。
自分にとって「出逢いは必然である」と言える。

まさに「縁尋機妙」。
「良い縁がさらに良い縁を尋ねていくのが実に機妙である 。」
そして、「多逢勝因」。
「良い人に交わっていると気づかないうちに、良い結果に恵まれる。」

茶の湯の世界では、「一期一会」という言葉がある。
茶会に臨む際には、一生に一度だという思いをこめて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきだと言われる。
この人には二度と逢うことがないかもしれない。
だからこそ、最善の対応をすべきであるということだ。

一生に一度しかない出逢いだと思って、出逢いを大切にしていかなければならない。
ほんの小さな出逢いが自分の人生を大きく左右する出逢いになる場合がある。
だからこそ、すべての出逢いが大切で、どうでもいい出逢いはないのだ。
その出逢いから縁が出来、そして自分を磨いてくれる人物が現れる縁ができるのだ。

出逢いに感謝する人生でありたい。
ニックネーム uzak at 15:33| Comment(1) | 人生

2005年10月27日

「できない」を「できる」に

「人間として成長するためには、
できないことをできることに変えていくことが大事。」

「私はこういう人間なんだ」
「そんなことできっこない」
「私だけが何でこんな境遇なんだ」

このような固定観念やあきらめ、
被害者意識や変なプライドなどは
捨ててしまうこと。
それが人間として成長することだ。

勉強でも「私はこれが苦手だ」という
苦手意識を持った状態でいくら努力しても
それを克服することはできない。

「苦手」と言っている人の大半は
嫌いでやっていないから
結果としてできない。

しかし、私は「苦手」の定義を
「いろいろやったけど
どうしてもできないことを苦手」とする。

「しないこととできないことは違う」
「しないことをしないままにしておくことを
心の障害者という。」
体の障害者はしかたないが心の障害者になってはいけない。

すぐに「私にはできない」と言わないで
「できるためには何をしなければならないか」
を考えて行動することが大切だ。

誰もがどんなことでも勇気を持って事に当たれば
必ず少しづつ前に進めることができるはずだ。
人生は挑戦の連続である。
(参考 致知出版社 13歳からの人間学 石川 洋)
ニックネーム uzak at 11:39| Comment(0) | 人生

2005年10月13日

概念の世界と感覚の世界

"an apple" とは何か?
「一つのリンゴ」?
人が頭に思い描いたリンゴは人それぞれみんな違う。
だとするとそれぞれが思い描いたリンゴは "the apple" ではないのか?
a やanは不定冠詞と呼ばれる。
定まっていない。「どこのどれでもない」リンゴということになる。
一般的なリンゴ、概念で言うリンゴということだ。
したがって人は「リンゴ」というものを
「赤くて丸い球状の