2007年10月14日

視覚化(ビジュアル化)

文章題を解くとき、まず図を書いてみること。これが問題解決の第一歩になる。特に数学では問題を図にして考えること、つまり視覚化(ビジュアル化)することで問題の内容を理解したことになるし、文字だけでは気がつかなかったことも発見できる。
視覚化の例として、鉄道やバスの路線図は駅と駅をつなぐ線路がシンプルな線でつながれているが実際とは違っているが必要なのは駅と駅の位置関係やどこで乗り換えるかがわかればよいので、正確に表現された地図より、むしろ余計な情報が排除されたシンプルな状況の方がよい。
視覚化は、「情報を整理し」「わかりやすい形をつくる」、つまり「本質を明確にする」のにたいへん役に立つのである。
(『数学脳をつくる8つの方法』岡部恒治 サンマーク出版)
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2007年10月14日

いやなことはやらなくていいのか?

「個性の尊重」、「自由主義」、「自主性に任せる」など、「無理にいやなことはさせないほうがよい」、「好きなことだけやればよい」という考え方が多くなっていると思う。
確かに、「個性の尊重」、「自主性に任せる」というと格好がよく聞こえる。
しかし、個性とは何なのだろうか。「好き勝手に行動していい」と言うことではない。
「じっとしているのはいやだから歩き回る」、「つまらないから友達とおしゃべりする」「授業や電車バスの中、食事中でも平気でケータイをいじっている」、「考えるのは嫌いだから勉強しない」、「早く乗りたいから列を無視する」、「ウザイから殴る」。
これらのことが「個性」なのだろうか。これらはいわゆる「ジコチュウ」で、「個性」などと呼べるものではなく自分勝手でわがままな「自己中心的行動」でしかない。
個性とは最低限のことが出来た上で、自分独自のものを出していくこと。規則を守れず、最低限のことができない状態で好き勝手なことをすることが個性とは呼べないだろう。

「自分さえ良ければ他はどうでも良い」、「人に迷惑をかけていないから何をやってもいい」、「今が良ければよい、先のことは何も考えていない」そんな人間が多くなった。
社会は思考力のない自己中な子ども達、いや大人達を量産しているのではないだろうか。
これでは、世の中が良くなるわけがない。

最低限の教養を学ばなければ、思考するための言語や事柄がない。
最低限の教養を学ばなければ、人を思いやる心も育たない。
中学3年くらいまでの勉強は義務教育ということもあるがどの教科も不必要なものは一つもないと思っている。最低限のことだ。その上でさらに自分の興味のあることを深めていくべきであろう。

ノーベル化学賞を初めて受賞した福井謙一先生の『学問の創造』(佼成出版社)には次のように書かれている。
「学んだことはいつ、どんな形で役に立つか、わかったものではない。学問を植物にたとえれば、個々の学問の地下茎は思わぬところでつながり合っているものである。(中略)大学で教職についていたとき、私は巣立っていく教え子達に、このような話をして広く学ぶことの意義を話すことにしていた。自分が進もうとしている道には関係なさそうに見える学問、否、もっと極端に、逆の方向の学問を一生懸命勉強することを勧めることにしていた。自分のやりたい学問との距離のある学問であればあるほど、後になって創造的な仕事をする上で重要な意味を持ってくるからである。」

直後に達成しなければならない目標がある場合などは別にして、様々なことを学ぶのに無駄なことはないということだ。
人生においても様々な出逢いや出来事に自分にとって不必要なことはないということだ。
これを良く理解した上で生きることが必要である。
(参考 『数学脳をつくる8つの方法』岡部恒治 サンマーク出版)
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2007年10月14日

思考力をつける

最近、子どもたちの思考力が低下しているように思える。
思考力は、読む力や語彙力、記憶力など他の力にも関係がある。
嫌いな科目の筆頭にあがるのが数学であるが数学こそ思考力を鍛える強化であり、重要である。数学とはどんな教科か?計算をすること。公式を覚えて、それに当てはめて答えを出すこと。
そういう認識をしているから、学校や大手塾で「覚えて当てはめるだけ」の勉強しかしてこないと「考える力」が全くというほどつかないのである。
もちろん公式を覚えることも、そこに数字を当てはめて計算することも、数学の大切なことであることには違いない。しかし、数学の本来の目的は

1.問題の本質をつかむ
2.それを論理的に説明する

この能力をつけることこそ、最大の目標であり、人が生きていく上でももっとも必要なことである。
仕事や商売、悪質な詐欺に引っかからないためにもこの物事の本質を掴むことは重要なことである。
(参考 『数学脳をつくる8つの方法』岡部恒治 サンマーク出版)
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2007年03月29日

全体像を把握せよ

一つ一つ小さなことにこだわりすぎて、全体が見えていないためにうまくいかないということが度々ある。
勉強も仕事もある物事を成し遂げようとしたとき、全体像をまず把握してから、進めていく方がよい。細かい点はその後、決定していけばよい。

細かい部分から初めていくとその部分が完成すると人間はうれしくなってそれで全部完成したかのように思ってしまう。この段階では全体像が見えていないのである。見えていないからうまくゆかない。
全体像を把握してあると流れや考え方の柱がしっかりしているので、考え方がぶれない。

全体から細部という流れでいくことが成功への一歩である。
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2006年07月16日

守破離

守破離とは、学び始めてから,独り立ちしていくまでの三つの段階のこと。最初は教えを守り,次に自分なりの発展を試み,最後には型を離れて独自の世界を創り出していく。(世阿弥 『風姿花伝』)

守破離は、武道や茶道、歌舞伎や伝統芸能、芸術などを身につけていくときの考え方になっている。
人が物事を学ぶとき、伝統やしきたりを守り、指導者の心構えや方針を聞き、基本や型を大切にしていくことが「守」である。それをもとにして発展応用させていくのが「破」である。さらに基本から離れ、オリジナルなものを創っていくのが「離」である。

勉強でも同様のことが言える。英単語や漢字、公式などの基本事項を覚え、例題を理解する。そのような基本的なことが非常に重要である。そして、それを基に類題や練習問題を解いていくのが応用である。ここで基本がしっかりしていなければ問題が解けないし、効率が悪い。さらに続けて勉強しているとこういうときはこう解く、これが出てきたら答えはこうなる可能性が高いなど、自分と問題との間に自分流の解釈が出来るようになる。
だからこそ、基本が重要で、これを疎かにしていたのでは勉強が出来るようにはならない。勉強が出来る人ほど基本に忠実であると言える。

茶道界の千利休に次のような歌がある。

 『規矩作法 守りつくして 破るとも 離るるとても 本を忘るな』。

「伝統を踏まえながらもそこに留まることなく、常に新たな世界を創造してゆくが、根本の精神は忘れない」。又は、「基本を守り、基本から応用を見出し、自分の型をみつける。それでも、基本を忘れるな」という意味である。

守破離の精神を勉強に、仕事にそして人生に役立たせたいものだ。
ニックネーム uzak at 01:37| Comment(0) | 学習理論

2006年05月31日

おかず理論

お弁当で好きなおかずを最初に食べる人と最期に食べる人がいる。
一番最後に楽しみにして食べようとすると隣のものに取られて食べられてしまったりする。だから大事なことは最初にしなければならない。カリスマ体育教師 原田隆史氏はこれを「おかず理論」と言っている。
 
 つまり、人が何かを達成しようとするとき、大事なことは最初にしなければいけないということだ。そうしないと、障害が起こり、それが出来なくなってしまうことがあるからだ。

 物事を成し遂げるのに、自分にとって一番大事なことを大切にすることが重要なのだ。
プライオリティつまり、優先順位の問題なのだ。
例えば、大きな石、小さな石、砂利、砂、泥、水とコップに順に入れていくといっぱいにすることができるが逆の順序や違う順序で入れた場合、すべてをコップに入れることはできない。

 人間も同様で、最初に大きな石つまり自分にとって重要なものを組み込んでいかないとできなくなってしまう。しかし、ほとんどの人がその大きな石はそのままで入れやすい水や泥を入れてしまい。大きな石が入らない、または入れようとしないが多い。

したがって、日々の目標に優先順位をつけて、行動することが大切である。
また、やらなければならないのになかなか実行できないことは、優先順位を上げると実行可能だ。
大事なことは、最初に計画し、行動するようにすべきである。
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2005年11月17日

試験とは対話である

試験には問題を制作した人と問題を解く人がいる。
またそれを採点する人がいる。
国語や英語ではその文章を書いた筆者がいる。

問題を解く側は、一方的に与えられて解けと言われるからどうしても受け身になりがちで
あるが問題制作者の立場になって考えなければならない。
「自分に何を問いたいのか?」
「自分に何をしてほしいのか?」
それが問題制作者との対話である。
自分の主観的な考えで解こうとしてはいけない。
素直に問題制作者の気持ちになって考えるのである。

解く側の考えでいる限り問題は解けない。
入試では解けない問題は出さないので必ず解けるものとして問題を見る。

またその文章の筆者の心を読み取っても正解でない場合がある。
筆者の意見と問題制作者の意見とのずれである。
問題制作者の心を見極めなければならない。
問題制作者と同じところから問題を見渡すと自然にキーワードやポイントが見えてくる。

問題を解くには問題制作者との対話であるが点をいかに取るかは採点者との対話である。
試験では制作者と採点者が同一の場合と異なる場合がある。
異なる場合はその問題の採点基準というのがある。
それは制作者が採点者に託すメッセージだ。
「私はこういう思いで問題を作ったから、こういう事が分かっているかを解く人に問いたいからこれを基準にして問題を採点してほしい。」
このことを考えて解答を書いていかなければならない。

試験とは問題制作者との対話であり、自分自身との対話でもある。
ニックネーム uzak at 12:30| Comment(1) | 学習理論

2005年10月25日

ピグマリオン効果

 昔,ギリシャのキプロス島に、ピグマリオンという名前の王様がいた。彼が象牙に刻んだ理想的な女性の彫刻像に、恋をしてしまった。この彫刻像を、生きた女性に変え、妻にしたいと熱烈に祈っているうちに、愛と美の女神アフロディーテがこの願いを聞き入れて、その彫刻に生命を与え人間にした。(ギリシャ神話)

 ハーバード大学のロンゼンサール教授によると、この神話からヒントを得て、「教師がある学生に対して優秀だという期待を持って教えれば、その学生は他の学生たちよりもっと優秀になる確率が高いという理論」を発見し、ピグマリオン効果(Pygmalion Effect)と命名した。

 親子でも同じことが言える。親が子どもに対して「できる子だ」「利口な子だ」「成功できる子だ」等、褒めたり、期待したりしていればそのようになる可能性は大きい。
親バカと言われるくらいしてもいいと思う。ただ、あまりにも過度な期待は子どもに負担をかけることになるので注意が必要だ。

 もちろん何でもかんでも願ったり、祈ったりすればすぐにいい結果が出るわけではない。
きちんとした努力があり、その上に願いや祈りがあって成り立つといえよう。
いずれにしても、未来を担う子ども達には肯定的な期待をしたい。
ニックネーム uzak at 15:32| Comment(0) | 学習理論

2005年08月22日

トンネル理論

大学受験で秋になると受験生は「不安」という名の病気に取り付かれる人がいる。
9月10月11月と模試が続くが現役生ではなかなか結果が出ないのが現状だ。
D判定ならまだましで、E判定だとおせっかいにも志望校を変えろと書いてある。
確かに「不安」になる気持ちは分かる。中には不安のあまり志望校を変えてしまう人さえいる。それはちょっと待っていただきたい。「原因結果の法則」からすれば模試の成績が良くないのも当然の結果なのだ。勉強の量が足りないか、志望校が高いかであることが多い。現役生は夏まで勉強が不十分な人が多い。不安に思っている時間があったら、勉強をした方が良い。現役生は特に模試が終わってからの12月1月2月の時期に、自分の成績が見えない状況の中で9月からしっかりやっていた人は二次曲線的に成績は上昇するはずだ。ただ浪人生については成績も冷静に受け止めなければならないだろう。
まさに、これから真っ暗なトンネルに入っていくようなものだ。
全速力で通り抜けたいが周りが見えず不安になる。スピードを緩めたり、両脇の壁にぶつかったり、後戻りしたりする人が続出する中で自分を信じ、まっすぐ前を見れば遠くにかすかに光があるはずだ。それが目標とする出口だ。その光を目指し、迷わず走れ。必ずトンネルは抜けられるはずだ。
人生においても同様、暗黒のトンネルに入る時があるかもしれない。そんなときはまっすぐ前を見てその目標である「光」を目指し進むことだ。
ヘレンケラーはこんな言葉を残している。
「太陽を見ている限り、影を見ることはない。」
とにかく合格するにはこの「不安」の気持ちを吹き飛ばさなければならないのだ。
ニックネーム uzak at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習理論